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 気を失い、しどけなくその場に倒れこんだグィネビア王妃を背後から支えたのはバレリアンだった。

 武人ならではのりっぱな体躯を持つ彼は王妃の体を難なく受け止めて抱え込むと、そっと近くの長椅子に横たえさせる。

 本来なら王妃の居室の寝台まで早急に運び、大声で待医を呼ばわり手厚い看護を受けさせるべきところだが、何せ危急存亡の事態である。今のこの状況下ではそうもいくまい。

 とはいえ、無駄に時間をかけてこの場を長引かせるわけにもいかず、半ば条件反射的に腰に下げた自慢の得物である剣の柄に手をかけると、すらりと鞘から抜き一歩前に進み出る。

 栄えある宮廷騎士団団長の名にかけても、ここは絶対に退くわけにはいかぬとばかりに、いたく強面の表情で。

「……去ね、皆の者たちよ」

 苦しげな声音で王ジェラルドはバレリアンらに命じる。が、それに反し、何がおかしいというのか、ひたすらけたけたと狂気じみた笑い声を室内中に響かせる人面疽であった。

「早く、この場から去るが良い。私の体がかろうじて持ちこたえている間ぐらいは多少なりとも時間稼ぎもできよう。だが……それも……もはや」

「しかし、ジェラレルドよ。もしやそれは……あの時の」

「ドラゴよ、懐かしき我が旧き友よ。そうとも、これは妖魔の一部ぞ」

「なんと……っ!? 奴らは我らが互いの力を限界まで使い死闘寸前の末に封じたはずであろう。それが何故この期に及んでなお……」

「ああン? そりゃ単なる能力不足だったからだろうよ、おめぇらの。いや、こいつ単体の問題だな、要は」

 王とドラゴの逼迫した会話に人面疽が介入する。だがそれは先の、首に現れた奴ではない。唐突に割り込んできたのは王の右手甲の皮膚をぼくりと突き破って突出した腫瘍もとい、新たな人面疽であった。

「ケッケッケッ。愉快、痛快だなぁ。ちゃんちゃらおかしすぎるぜ、こいつぁ」

 ぶしゅりっ。今度は王の腹部周辺に奴は表出した。急激な盛り上がりを見せた直後、たちどころに衣服をつき破り肉塊が突出し、それに張り付いた人面疽がニタリと彼らに向かって不敵な笑みを浮かべたのである。

「……っ!」

ティーナはぞっとし、ぶるりと背を震わせた。途端、反射的に酸い臭いが喉元までこみ上がる。これは胃酸だろうか。今しもその場にて勢いよく嘔吐しそうになる。だが、かろうじてティーナはそれを耐えた。手で口を塞ぎ、えぐえぐと声にならない悲鳴を上げ続けて涙目になりながらも、とにかくぐっと唾を飲み込んで嘔吐感を払拭する。ここで相手に屈してはならぬという必死に抵抗する思いが多分に働いたのだろう。

父ガルオンとバレリアンはさすがに彼女ほどあからさまではなかった。だが、それでもその異様ともいえる王の変容は精神的にかなり堪えたようである。顔面蒼白となったまま、その場から一歩も動けず固まっていたのだから相当なものだろう。

そうなるともはや早々に気を失った王妃は、この世のものともいえない惨劇を直接目の当たりにしなかっただけまだ幸いと言わざるをえないだろう。

「確かになあ、竜のダンナよ。アンタの神通力は実際、大したしたモンだったよ。アンタにやられたおかげで、あらかた数を失ったからなあ。こちとらもカタなしだ」

「だがこいつぁなあ、斎王の妹の力を足しても達しない自分の能力不足を補う為に、己の体そのものを触媒に使ったのヨ。自身が死なばもろとも我らを根絶やしにできるとでも思ったのか。はんっ、バカめ!」

「例え一国の王とて、たかが人間! 弁えも知らぬその愚かな分際で! 何たる傲慢! 愚者の極み! 並の魔法使い千人分の能力を持つ優れた手だれとて、たった一人が放つ限りある魔法の力と、生身の肉体で全てを封じ抑えきれるほど、我らは矮小なる存在ではないわ!」

「ひゃっはっはぁ! いやいや、逆にありがたかったではないか。封じられていたおかげでこいつの肉片を養分にさせてもらってなあ、徐々に力を蓄えて今日まで機会を伺っていたというものっ! 我らが復活を遂げるこの佳き日を、しかとその目でありがたく見届けるがいいっ!」

 次から次へと王の体を小刻みに蝕みながら出現する人面疽たちが口々に叫ぶ。もはやそれは王である以前に人間とは呼べない代物になりつつあった。人体の様々な個所、頬や額、顎や頭頂部にすらぼこぼこと表出し続ける大小の腫瘍を宿した本体、それを何と表現したら良いというのだろう。

 そんなほぼ虫の息の下、それでもなお王はうわ言のように一行に向かって繰り返し続けるのだった。早く逃げろと、この場から早急に立ち去れと。自身の命を賭してでも彼らを絶対に封じるから、と。

(逃げる……? でも、どこへ? いったいここからどこへ行けば、みんなが助かるというのっ!?)

 ティーナはもはや自身には全くもって収拾のつかないこの現状に対し、ひたすらしゃくりをあげながら、ただ力なく首を振るのが精一杯であった。

 それでもどうにかして解決策を得られないものかと、矢も盾もいられず周囲を眺め回す。すると、ちらと窓の外が視界に入った。自然採光を広く取り入れる為にしつらえた大きなサイズの窓の向こうに広がる景色は、ある一定の距離から先は何も存在していない。とはいえ、かろうじて専任魔法使いらが必死の攻防で絶対防御の障壁を形成し、虚無の進行を抑えているのは確かなようだ。王宮の周囲は元より、未だに宮殿内部が存在しているのが何よりの証拠であろう。

 だがしかし、それもいよいよ限界が近付いているのは実に明白。目に見える速度で徐々に端から消失していく様は、誰しも身が打ち震える程の計りしれない恐怖を感じざるを得なかったのだから。
ティーナは急ぎ視線を窓から室内に移す。ところがそのわずかな間にすら驚くべき事実を目の当たりにし、さらに絶望感に囚われ瞠目するのだった。

「う……そ? どうしてこんな、こんなことが……っ!?」

 あまりにも衝撃が大きすぎたせいか、声を張り上げてしまう。

 やがて彼女の驚愕の訳を知ったドラゴは忌々しげに「ちっ」と舌打ちし、バレリアンは「やってくれるじゃねぇか妖魔ども」と悪態をつき、ガルオンは頭を抱え「もはやこれまでなのか?」と力なく首を振る。

 三者三様の反応のばらつきはともかく、一同は共に見たのだ。全くと言っていいほど天井や壁、床すらもそこには何ひとつとて見受けられないことを。いや、それだけではない。室内の調度品や実在すべきものがその場から消えうせていることを……。

 しかもただ単に物がそこにあらずといったレヴェルではない。何せ物体そのもの、もしくは一部がことごとく欠損しているのだからまさに只事ではなかろう。

 そう、まるでそんな物など初めから存在してなどなかったかのように忽然と消失している。にも関わらず、物体としての形容は成り立ったまま、というおかしな有様なのだから信じ難いにも程があるというものだ。

 そしてその失った物の代わりに空間を占有するのは――白いもやのような“虚無”、ただそれのみ、という……。

(本当にもう……おしまい、なの?)

 ティーナは限りない絶望を覚えてひくと喉を震わせて愕然とし、そのまま膝から力なくぺたりと床上に崩れ落ちた。

 ――だが、その時だった

 ゆらり。その真っ白なもやで覆われた空間が突如として歪みを見せたのは。

 やがてその歪みは渦を巻くようにゆっくりと形を変えてゆき、遂には渦の中から“それ”が立ち現れる。しゃなりしゃなりと軽やかな足取りで進み出てくる、そう一人の女性の姿が――。それを目に留めるなり、皆一様に目を見張り呆然となった。

「まあ、お兄さまお久しうございます」

 にっこりと優美に微笑む。あでやかで華やかなドレスを身にまとい、きらびやかな装飾品でこてこてに着飾った彼女の姿はこの逼迫した現況においてあまりにも常軌を逸している。

 故に、声も失くしてその場に固まる彼らは皆、今ここで実際、何が起きているのかすら一瞬の内に忘れてしまう程。それくらい非現実的めいている出来事であったのだ。

「そな……た。セシリア……か?」

 先の彼女に対し、息も絶え絶えに王ジェラルドはぽつりと呟いた後、沈黙に伏す。

 セシリア・セイルファーデム。その名こそかつて大いなる力を持ちし斎王と褒めそやされし存在、現セシリア・ファルナトゥ・デヴォンシャー、国宝陛下の妹君その人であった。

「ディルナス様!?」

 咄嗟に叫んだのはティーナである。

 彼女はセシリア公妃の背後にそっと控えていた見覚えある長身の彼の姿が目に入るなり、驚きのあまり我を忘れて声を張り上げてしまったのだ。

「ディルナス様、どう……して……? どうして、ここへ!?」

 唾気もはや枯れかけたしわがれ声で彼に向かって呼びかける。自身の震える手足を叱咤し、再びよろよろと立ち上がりながら。

 だが、がくがくと鳴る膝は今にもぽっきりと二つに折れそうで、そのまま力なくぺたりと床上に座り込みかねない勢いである。それをいち早く察知した竜、ドラゴはすばやく彼女の背後に回りこむと、その腰や肩を自身の二の腕でそっと包みこみ、しっかりと支えるのだった。

 そのおかげでなんとか事なきを得たティーナはひたすら感謝の念をこめた視線で肩越しに軽く「ありがとう」と礼を述べると、腹にぐっと力を入れてさらに自身を律した。

「そろそろ頃合いかと思って来てみれば……。ふんっ。まだ封印は解けぬとみえるな。全く、時間がかかりすぎじゃ。せっかく王宮くんだりまでわざわざ出向いたというのに骨折り損のくたびれ儲けぞい」

「まあまあ、母上。そうご立腹なさらずとも良いではありませんか。急いては事をし損じると昔から申します故。なあに、ご安心下さいませ。もうじきですよ」

「それにしても、強情というかしぶとい奴よのぉ……。とっとと観念して即堕ちれば良いものを。ほれ、早くせい。わらわ達をいつまでも待たせるでない、この腐れ外道の愚者の王が」

 ぶつぶつと文句をこぼしながら手にしている閉じた羽根扇子の先端でジェラルドの頭部をやにわに軽く小突く。すると彼の頬から突出した人面疽が唇を尖らせて「うっさいわね、ちょっと待ってなさいよ」と応じるので「相変わらず口先だけはいっちょ前よのぉ」と即座に切り返した。双方は互いに面識があるのだろうか。ずいぶんと親しげなやりとりが交わされる様に一同は唖然とし、まじまじと眺め入る。

「あの……」
 
 恐る恐るといった様子でティーナは声をかけてみる。

「セシリア様とディルナス様は一体……」

「僕ら? ああ、そうだね。この際、当事者ってところかな。そうですよね、母上」

 同意を求めて水を向けるとセシリアは「おや」と意表を突かれたような声を上げる。自分達以外の者たちがその場に同席していることを今更ながら初めて知るが如く。

「なんじゃ、おぬし。ガルオンの娘ではないか。おお、ガルオンに宮廷騎士団長殿、それに竜もおるのかや。変わった取り合わせの面子よのぉ。もしやぬしら結託しよったか。……まったく、ほんに小娘の分際でわらわ達を出しぬいてくれた上によくもまあぬけぬけとこんな所にまで先回りしておったとはな」

 はんっと鼻を鳴らして棘を大いに含んだ愚痴をこぼすセシリア。図星をさされたティーナは瞬時にして顔をかあっと、物の見事に赤らめて俯き加減で押し黙る。確かに弁解の余地はない。あちら側からすればティーナたちの取った行動はとても歓迎すべきものではないのは当然なのだから。

「……ひるむでないティーナ。かなり身勝手で一方的な言い草だ。そもそも、そちの身をいいように利用せんと最初に手を出してきたのはあちらではないか。委縮などもっての外。申し訳ないと気後れすることなど何もないぞ」

 そっとドラゴが耳打ちしてくる。ティーナは自身が採った行動の結果を恥じる必要なしと彼に認められ、堂々としておれと太鼓判を押されたことが心底嬉しかったとみえる。自身を支える彼の手に己もまた手を重ね合わせてしっかりと感謝の意を伝えると、きゅっと唇を引き結び意志を強く持ち、再び顔を上げてディルナス達を見据えた。

「ってぇことはだ……。んじゃ“虚無”のこととか、全部セシリア様とディルナス様らが関わられてるってワケですかね?」

「うん……? そうだね、まあそんなところかな。ちょっとね、厳密には違うけど、この際当たらずとも遠からずってところで」

 ふいにバレリアンから投げかけられる疑問にふふふ、と謎めいた笑みを唇の端にたたえてディルナスはどことなくはぐらかし明答を避ける。

「そ、それなら……っ」

 ティーナはさらに身を乗り出すようにして意気込む。種を異にする妖魔を相手にするよりもディルナスとセシリアにかけあう方がまだ可能性が開けると踏んだようだ。少なくとも彼らとは同じ人間同士である。話し合いを重ねれば解決できる糸口が少しでも見つかるのではないか。そんな淡い期待を抱いて彼らの即時撤退を強く訴えかける。

「あ、あんまりじゃないですかっ。こんな、こんなのってひどすぎますっ。セシリア様もです。お願いですから、もうやめてください……っ!!」

「ごめんね、ティーナ」

 だが、ディルナスは彼女の必死の懇願を軽く受け流す。しれっと彼から寄こされた返事はさほど悪びれた様子もなく、むしろかえって明朗快活な響きに満ちていた。

「君が僕のそばにいれば、こんな怖い思いはしなかっただろうね、きっと。僕らがあのままデヴォンシャーの屋敷でずっと離れずにすめば良かったのに。でもこれは君が選択したことなのだから仕方がないよ。今の僕らの対立はね、単なるその結果にすぎないんだよ……?」

 淡々とした口調で続ける今のディルナスに、彼女の真剣な思いで綴られた訴状は届きはしないようだ。それどころか目を細め、ますます夢みるような眼差しでやさしく語り続ける。

「言ったよね、僕は君に。それこそ、再会したばかりの頃に既に。僕は……母上を戒めから解き放ってあげたい、お救いして差し上げたいだけだって」
ふいによみがえる、ティーナの脳裏に。デヴォンシャーの屋敷内にてディルナスと目通りした際、彼から漏らされたまるで繰りごとのような独白を。

『……自分も全ての元凶を、悪しき災いを根絶やしにし、この国から何もかもを一掃させたい――』

 そして、ゆくゆくは“はじまりの空に戻したい”と彼はのたまう。それが自分の願いだと、唯一の叶えたい望みだと。貫き通したい真の意志だとも……。

(それが……妖魔の力を借りて行っているこの“虚無”の現象だというの……?)

「だ、だからといって……」

微妙に声は震えていたが、気丈さを保ったままティーナは両手をぐっと握りしめて拳を作る。己を奮い立たせんとばかりに祈りをこめながら。

「ディルナス様はこれしか方法はなかったんですか!? こんな……こんなんじゃ誰も幸せになんかならないのにっ!!」

 何もかも消えれば、全てを無に帰せば、それが本当にすべからず正しくかつ良いことなのかどうか、それすらも判別つかなくなる。

 何故ならこの“虚無”がこの世の全てを覆い尽くしてしまえば、そこには誰も何も存在しやしないのだから当然だろう。

 天も地もなく、昼も夜もない。時間の概念すらないのだから、当然の如く過去もなく未来もない。むろん、暑さ寒さ及び季節を感じることも到底ないに違いない。

 そんな世界など最も無意味に他ならぬというもの。なのにどうしてそれを手放しで歓迎できるだろうか。諸手を挙げて賛同し、喜び讃えられるだろうか。

 そう、ティーナは強く主張し彼らに向かって抗議し続ける。

 例え世界を殲滅したところで得られるものなど何ひとつもない、と。

 だが彼は――ぴくりとだけ眉を動かすと、彼女に向かって軽く小首をかしげる仕草を示すのみ。

「幸せ……?」

 ぞくり。ティーナは瞬時にして背筋を震わせた。

 冷たい、それこそ氷へと変化する寸々の水を不意打ちでかけられたような心地さえも覚えながら、虚ろなまなざしをたたえたディルナスと対峙する。

「ティーナ、君は何をもって“幸せ”というものを定義しているのかな?」

 ディルナスはいつもの如く微笑んでいた。ゆるやかに弧を描く口元。やさしげでやわらかな声音。だが
その瞳は――けして、にこやかではないのだ。そう、ほんの少しも。

「君の言うその“幸せ”とやらは普遍的な意味合いを含んだ絶対的な正義? それとも狭義の意味での個人的な感傷を含んだ見解?」

 彼女がつきつけた鋭い言及はディルナスにとって何ら意味を為さなかった。

いや、それどころかますますもって互いの対立を深める結果に成りは果てたようだ。たちどころに周囲をしんと静まりかえらせ、場を瞬時にして凍りつかせる。

「せ、セシリア様も…っ!」

 その沈黙に耐えかね、力の限りティーナは叫ぶ。だいぶ気持ちを入れ過ぎたせいか、素っ頓狂に声をひっくり返らせながら。

「お願い致しますっ! セシリア様もどうかお考えをお改め下さいませっ!」

 ティーナはさらに続ける。こみあげる嗚咽を喉の奥に押し殺し、ほろほろと目尻から零れ落ちる滴すら全く厭わずに。

「ジェラルド国王陛下との一件は事実無根ではないですかっ。全ては偽り、真実ではないというのに……っ!」

 そう、そうなのだ。ジェラレルド王とセシリア王女の間に不義はなかった。それは一切の嘘偽りのない事実である。

 二十年前、当事者であったティーナの父である薬師ガルオン、それに妖魔封印の為に力を貸した竜族の一員であるドラゴも一様に口を揃えて言うのだから相違ない。世間にひそかに流布されているまことしやかな噂話は根も葉もない全くのデマだと、とんでもない誤解であると、両者とも一刀両断しきちんと明白に証言している。

 なのに、どこでどうボタンの掛け違いが起きたのか。はたまた真実が歪められてしまったというのか。セシリア公妃の口から語られ、ティーナに伝えられた内容とはまるで異なる。

 だが、ティーナがその件をズバリ指摘しても、セシリアは何ら動じる様子はない。それはディルナスとて同様である。彼らは真相が明らかにされても、驚くような態度などほんの微塵も示さなかったのだ。

 その上セシリアは「やれやれ」と重苦しくため息を吐き出す。そんなことぐらい当事者である自分にはわかりきったこと、今更どうして過去のことなど蒸し返す必要性があるのだ? とでも強調するかのように。

「薬師ガルオンの娘ティーナよ、かような戯言をこの場に持ち出してどうしようと言うのかや? ええ? いや、もはやどうでも良いではないか。わらわにとってはいずれにせよ些末なことであるぞえ」

「そ、そんな……っ!?」

「二十年前……わらわは兄上、それからそこにいる竜たちと共に妖魔封印の為に尽くしたものよ。尽くして、尽くしたが故に斎王としての力を失ったのじゃ。その事実だけでもはや十分ではないか。そこに付随する事由なぞ、さしたるウィットにすらなりはせぬものぞ」

 兄である国王に持てる能力の全てを譲渡し、斎王という立場を失ったことに対しては何ら悔いも恨みもしない。いや、むしろ誇りとさえ思っているのだ、自分は。

 王家の血を引く自分達と竜族とが共に手を取り合い、互いの力を合わせ、命を賭した。その甲斐あってかろうじて妖魔を封じ、まさに寸でのところで国は滅することなく今も世に有り続けているのだから。
それに力を失ったのは彼女だけではない。国王である兄ジェラルドもまた妖魔封緘の為、己の肉体を触媒化する際に躊躇なく持てる力をあますことなく放出したのである。

 セレスト・セレスティアンの王族のみが生まれつき身に備わる強力な呪いの能力、魔法を行使する術に長けたその才の全てを。国の平和と民の安寧とを得ることの代償として、自らを供犠として捧げたが故に。

 ただ許せなかったのは――その後の自分に対する処遇である、とセシリアはいたく嘆く。

 力なくかわよわい民草を守り、国の危機を救った。その貢献に寄与した自分をすっかりとないがしろにした挙句、降嫁の名目によりファルナトゥなどという辺境の地の離宮に遠ざけるなどと……。まさに言語道断な上に横暴すぎる行いであろうと。

「セシリア様……っ! いいえ、そうではありませぬ」

 極めて遺憾であるといった風情でガルオンが口を挟む。やるせない心情をため息交じりに切々と吐露する彼女に対し、ずっと黙したまま聞かされているのは実にたまらなくなったとみえる。当時の経緯と全ての真実を知るほんの一握りの数少ない当事者としては、この際、徹底的に証立てをせねばなるまいと咄嗟に感じたようだ。

 しかし興奮のあまり、つい臣下としての己の立場を忘れての振る舞いにハッと気づいたようで、慌てて「恐れながら申し上げます」と口添えし、やや頭(こうべ)を垂れて敬意を表明したが。

「どうして陛下がそんな血も涙もない無慈悲なことなどできましょう。幼少の砌より心から陛下と通じ合っておられたセシリア様ならご存じでいらっしゃるはずです。どうか陛下の悲痛なる胸の内をお汲み取り下さいませ」

ガルオンはセシリアにこんこんと訴え続ける。既に肉体はことごとく妖魔に凌駕され、ほとんど肉塊のような有様に成り果てたかつて人間だったというべき存在、彼の視線の先にいるジェラルド国王の胸中を代弁するかのように。

 曰くセシリア、彼女の急な降嫁並びに辺境の地での蟄居屏息が推奨されたその真意は、妹という血を分けた肉親であるその御身を気遣っての緊急の措置であったとのこと。

 互いに王族の身分にあり、歴代稀に見る斎王としての才長けた能力者であるが故に、国の危急存亡の際にあって、二人は共に生死を顧みず死線の境を彷徨うほど力を揮った。そしてとうとう遂には共に力を失し、大いなるかの地位を退くことを余儀なくされる。だからこそ、早急に確かな後ろ盾と堅い守り手が必要とされていた。彼女の身の安全と安寧を心から願うが故に、感情を押し殺してでもジェラルド国王は止むなくそう命じたのだと――。

「……陛下は生身の肉体一つでかろうじて妖魔を封じているが故、呪力を行使できませぬ。ですからそのお傍近くにセシリア様を置くことは危険極まりありませんでした。自身の魔法の力でもってお守りすることができないのは実に明白でありますから……」

 いつ何時、己の命が尽き、その箍が外れて再び彼らを在野に放すことになろうか。例え強力な布陣による絶大な力でもって彼らを御し続けていても、その可能性は全くなきにしもあらずといったところだろう。

 そして万が一、再び悪夢が訪れ、妖魔が国を襲撃する際の唯一の頼みの綱は――。当時、我々人間と共闘した竜の存在のみ。

 しかしその際、宮廷魔法師たちによる彼らの召喚が少しでも遅れれば、それこそ被害は甚大。ならば、なるたけ王都からあらかじめ隔離しておいた方が彼女の身の為であろう、と。

 そう踏んで、まだ戦いの後遺症がさほど癒えず、うつうつと床に伏せていたセシリアの身を早急に王宮から移した。彼女の意向は当然のことながらほとんど無視して。もちろん、それだけ逼迫していた現況でもあったわけだが……。

「陛下は国の情勢があらかた落ち着きましたら、真っ先にそのことをご自身の口からセシリア様にきちんとご説明さしあげる所存でいらっしゃいました。ですが、陛下のご容体はその後も一進一退を繰り返しておりまして、床を離れることもファルナトゥの地まで日をまたいで馬車に揺られながら遠出するだけの体力はもう……」

 そしていつかその内にと機会を伺っている間に時は経ち幾星霜。ジェラルドと異なり、やがて順調に体力を回復したセシリアは、いつの頃からかすっかり頑なに心を閉ざしてしまっていた。それどころか周囲に気の触れた振る舞いを見せるようになり、ますますもって真実を知ることから遠ざかってしまったのだという。

「ふうん、なるほどねえ……」

 もっともらしく頷くディルナス。

「母上、ご自身の過去の真実が明かされてのご気分はいかがでしょう?」

「ふふふっ。……そうさのぉ。もうこれ以上のご託はご免被るところ、かえ?」

 にっ。セシリアは唇を弓型に攣りあげると、すっと右腕を上げティーナたちに掌を開いて指し示す。

 とたん――彼らの間に大きなどよめきにも似た動揺が走った。

「なんてこった……セシリア様も、かよ」

 バレリアンは目眩を覚えるような心地して髪をかきむしる。さらなる驚愕の事実が彼女自らにより露呈され、どう収拾をつけたらよいのかがとんとわからぬといった風情だ。

 そう、セシリアの右手の掌から飛び出ているが如く不自然に盛り上がった肉塊。それは……ジェラルドの身体を蝕み続けている人面疽と同様の物に他ならず。

「くくく……みぃんなバカばっかりの抜け作揃いだぁなぁ」

「……っ!?」

 どこまでも異質な響きを含む声音にティーナはハッとし、慌ててそちらに視線を向ける。とたん、息を飲んで我が目を疑う。だがしかし、それでも眼前の事実は現実そのもの。セシリアの背後に控えていたディルナス、彼の顔、その頬の周辺に突如出現していたのは、やはり例の人面疽であったのだから。

「あ、あなたは……ディルナス様じゃない!?」

「ああん? ディルナス? ディルナスだと……? はっ! 笑止! 最初からいねぇんだよ、そんな人間なんてぇーのはよぉ」

 セシリア、ディルナス、そしてジェラルドに巣食った人面疽たちは次々に言い募り、さらに続ける。

「なーにが真実だ! たかが低俗な人間どもが! 笑わせるっ。お涙ちょうだい茶番はもうたくさんだっ!」

「そんなクソつまんねぇ雑音に惑わされて心を入れ替えるとでも思ってだぎゃあ、おめーらはよぉ」

 人面疽たちはやたら愉快げにけたけたと笑い転げる。ジェラルドの肉体を触媒とし封じたものの、前述の如く生身の人間の身体で全ての妖魔を抑えきるのはやはり限界が生じていた。

 その為そこからほんのわずか、ほとんど誰にも気取られない量の妖気が彼の肉体から漏れ出すとやがてセシリアに渡り、また一方では集合体として人の形を取る。それはある意味、ジェラルドの化身。彼の中に封じられた妖魔はジェラルドが保持する人間としての様々な情報を彼から引き出し、様々な裏工作を施した挙句ちゃっかりデヴォンシャー家の養い子として収まると、他の魔法使いたちに気配を悟られぬようディルナスという表層の人格を形成していたのだという。

 そしていつしか王の中に封じられたままの他の妖魔らを封印の戒めから解き放つ日を迎える為に、今日までひっそりとかつ大胆に暗躍を繰り返していたとのこと……。

「さあ……っ! 今こそ声を挙げよ我が同朋!!  戒めから解き放たれよ 歓喜の雄叫びと共にっ!」

 まさにそれは鬨の声であった。人面疽たちの叫び声を合図にジェラルドの肉体はついに内部から瓦壊したのだから。中味をつき破り、周囲に飛び散る臓物や肉片、それら各々に付随した人面疽は凶悪な表情でティーナたちめがけて突進してくる。

 咄嗟に応戦するバレリアンは次々と剣でそれらを払うものの、切ったそばからさらなる細分化が行われる始末。その上カケラとなったそれぞれにも悉く人面疽が表出する為、一向にきりがないのだった。

「っくそ! どっから湧いてきやがるっ!? いつまでやっても埒が明かねーぞ、ゴルァッ!」

 バレリアンとほぼ背中合わせの恰好となったガルオンも急遽、魔法を、強力な呪力を持った防御術を高速で唱えだす。今でこそ宮廷付き専任薬師という立場にあるが、彼もまた、かつての若き時分にはティーナと同様ロータスの学び舎で学んだ身の上。一通りの正式な魔法術はその身に修めているのである。

 しかし、いくら二人が共闘したとて相手の数の方が遥かに多すぎる。バレリアンが嘆くのもむべなるかな、といったところだろう。払えども払えども妖魔の欠片は執拗に彼らにまとわりつき、べっとりと貼り付いてくるのだからた、全くもってたまらないとはこのことだ。

 そして彼らが貼り付いたところは……すべからずじわりと消失していくのである。まるでイレイザーで書き損じを軽くなぞるが如く、電光石火の早業でたちどころに消え失せてしまうのだから恐ろしいにも程がある。服はおろか身体の部位そのものが丸ごと。しかも一滴の血も流さず、骨を断つこともなく。ほんの少しの痛みも違和感すら抱くこともなく、だ。

「何故こうも効かぬのか、私の呪力がっ!」

「ちぃっクソったれが! どうなってやがんだコイツらの身体っていうのはよぉっ!?」

 身の毛もよだつ程の恐怖と闘いながら、必死で文言を唱え続けるガルオン、そして己の腕一つでそれらを払拭しようと尽力するバレリアンらの胸の内はいかばかりか。

 しかし今のティーナには成す術もない。先の大掛かりな魔法結界を単独で張ったのが相当堪えているらしく、父ガルオンに加勢し共に魔法防御術を唱えられるような体力などほとんど残っていなかったのである。ここ王の居室に来る際、荷物のようにバレリアンの肩に担がれて運び込まれたことを彼女は大いに恥じらっていたが、確かにそれなりの理由があったと言わざるをえない。

 それ故にティーナは彼らの傍でしかとその異常な現象を自身の目に焼きつけながらも魔法の一つも繰り出せなかった。竜、ドラゴの腕に囲われていることにより、かろうじて守られているにすぎず、ただおろおろと恐れおののき身をすくませる他なかったのだ。

「全てをゼロに、無に帰してやる! この世界を我らの物にする為にっ! いらぬ人間どもを始めとする有象無象、全てを排除せよ! 我らに仇なす者、我らけして許すまじ!」

 セシリアに巣くった人面疽は勝ち誇ったように嘲り笑う。今やもう彼女の右手どころか両腕、肩や背、頭部にも人面疽が表出しており、またディルナスに至っては元の顔も判別できないほど小型の人面疽だらけとなっていた。

「さあ、あと残っているのはこことロータスのみだ」

「あすこには今、竜の結界が張られている。それにどうやらこの国のトンマな王子も残されているようだが……?」

「ハッハッハッ。なあに案ずることはない。ここが堕ちれば自動的にあちらも消える。ただそれだけのことよ」

「ククク……確かに。我ら魔族に施されていた封印など、とっくに破られているではないか。なら、ちっとも造作もないことダニ」

(え……?)

 人面疽たちの口から唐突に発せられるいたくなじみのある地名にティーナの胸の鼓動はオクターブ程も跳ね上がる。

(ロータス、ロータスですって!?)

 耳慣れた響きに懐かしさを覚え、かの地での様々な思い出も共にぶわっと一気によみがえり、目頭を熱くさせる。

(カレン、セレ、アガシ、ディーン先生……。それから――)

 次々と思い出す、自分にとってかけがえのない大切な存在である級友や師の顔。それらが瞼の裏に浮かんでは消え、そして……。

(ラズリ……っ!)

 風になびく金の髪。空の色を映した澄んだ青い瞳。他の誰に対してよりも大きく心が揺れ動く彼の人の姿に思いを馳せた途端、ティーナはたまらずにぐっと胸を詰まらせ、目元をうるりと潤ませるのだった。



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