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 目が覚めて、時計の針が指し示した時間を見て驚いた。とっくに昼を過ぎているだろうとは思ったが、すでに夕暮れに近い時間でティーナは驚いた。
 どおりで頭もすっきりしているはずだ。昨夜、部屋に戻ってから昏々と眠り続けていたのだろう。あんなことがあったにもかかわらず、本当にぐっすりと眠れた気がする。
「もう起きなくちゃ」
 ティーナは寝台から身を起こすと、小さく伸びする。そおっと足を床に下ろす。スリッパに足を入れると、ゆっくりと寝台から腰を上げ、ゆっくりと足踏みをしてみる。もうそれほど痛くはない。
 ティーナは窓に近づくと、明るい色をしたカーテンを開け放つ。窓の外にはのどかな田園風景が広がっていた。その向こうのなだらかな丘には、羊や牛たちが草を食んでいる姿が小さく見える。
 窓を押し開くと、やわらかな風が流れ込み、ティーナの髪をふわりと揺らす。緑の草の匂いや畑の土の匂いまでがここまで届きてきそうだ。
(…もう午後の授業も終わってるわね)
 机に備え付けられている小さな椅子を窓際へ引き寄せると、ティーナは腰を下ろした。頬に触れる風が心地いい。こうしていると昨日の出来事が、まるで夢のようだった。
 目を閉じると、思い浮かぶのは金茶の髪をした少年の面影。上からものを言うような口ぶりは昔からだったのかと思い、ティーナは小さな笑みを浮かべる。
(ラズリ……ううん、ラズウェルト様、か)
 手をつないで一緒に空を飛んだなんて嘘みたいだ。
 今のラズリとティーナの関係では考えることもできなかった。もちろん、あの時も本当に偶然出会っただけなのだ。王族に属する一人だとは思っていたけれど、まさか皇太子殿下だなんて夢にも思わなかった。
(あたしのこと、憶えているかな?)
 ふと思ったが、そんなはずはないとすぐに思い直す。
 以前よりは少し言葉を交わす機会が増えたものの、ラズリの態度はその他クラスメイトと接するのとたいして変わらないのだから。単にアガシと親しくなったから自然とラズリとも言葉を交わすことが増えただけ。
(アガシ……)
 まだ身体にだるさが残るものの、昨日よりもずいぶん楽になった。もしかしたらアガシの掛けた魔法が効いているのかもしれない。そう、あのキスだって。
(…きっと、魔法のひとつに決まってる)
 ティーナはそっと自分の唇に触れてみた。アガシの唇の温もりがまだ残っているような気がして、ティーナはひとり頬を赤らめる。
 アガシは女の子の扱いに慣れているから、泣いている女の子をなぐさめるためにあれくらいは誰にでもするのだろうか? アガシの華々しい遍歴はこの学院にいれば、嫌というほど耳に入ってきていた。
 しかし実際親しくなってみると、子供みたいに屈託がなく、何をしてもどこか憎めない。いつも冗談ばかり言っているけれど、本当は思いやりがあって……噂で聞いているようないい加減な人だとはとても思えなかった。
 もし、アガシが他の女の子にも同じようなことをしていたとしても、こうして今、穏やかな気持ちで過ごせているのはアガシのお陰だ。それだけは確かなのだから、アガシに感謝する気持ちは変わらない。
 けれど、こうしてアガシのことを考えていながらも、ラズリの面影がずっと頭を離れないことも確かだった。
 負けん気の強そうな蒼い瞳の少年。傷の痛みを堪えて伏せた睫毛が意外に長かったこと。笑った時の表情がひどく眩しかったこと。つないだ傷だらけの手が、とても温かかったこと。
 ラズリ。
(どうして忘れていたんだろう。あの空色の瞳を。あの笑顔を)
 急に瞼が熱くなる。ティーナは涙が零れないように、ぎゅっと目を瞑るとラズリの面影を頭の中から追い払おうと小さく頭を振った。
 でも次々と思い浮かぶのはラズリのことばかり。ずっと忘れていたはずなのに、顔を見ると何かを思い出せそうでならなかった。言葉も交わしたこともないのに、目の端にその姿が留まると、知らないうちに目で追っていた。
(もしかして…あたし)
 あの頃から……ラズリのこと…………?
 多分そうなのだろう。ラズリが優等生であろうと、皇太子殿下であろうと関係なかった。泥だらけで傷だらけになっても誇りを失わない瞳。あの真っ直ぐな瞳に心奪われたのだから。
「……ばかみたい」
 ティーナは自嘲めいた呟きを漏らすと、両手の中に顔を埋める。 
(ラズリは…ラズウェルト様は、あたしなんかが手の届くお方じゃないのに。それにあたしは…)
---彼を、あんな目に遭わせてしまった。
 不意に、血の滲んだ包帯に包まれた幼い日のラズリの姿が甦る。
 紙のように白い顔には生気がなく、どんなにお香を焚いても消えない血の匂い。力なく投げ出された手は冷たくて、脈打つ音も弱々しく、いつ命が尽きてもおかしくない状態だった。
(ラズリがあんな目にあったのは……あたしのせいだ)
 竜を捕らえたからといって、かならずしも空を飛ぶ術を得られるわけではない。ではどうすればいいのかと聞かれても、ティーナは何も知らなかった。ただ血がそうさせるのだと、父ガルオンが言っていた言葉をそっくりそのまま言ってみたかっただけ。いい加減なことを言ったばかりに、幼いラズリに余計な夢を抱かせてしまった。そして、ラズリは今もその夢を抱き続けているのだろう。
 王家の人間が一般の生徒たちに交じって、同じように生活をしているなどと、誰が想像するだろう?
 このまま、何も言わずに過ごしている方がいいのかもしれない。下手にラズリの正体を口にすれば、誰かの耳に触れてしまう可能性も十分にある。ラズリがセレスト・セレスティアン王国皇太子殿下だと知られれば、きっと学院中が大騒ぎになるだろう。いや、大騒ぎになるだけならまだましだ。世の中には、王家の人間を利用してよからぬことを企む輩だっている。
 しかし、どんなに優秀な成績を収めても、空が飛べるようになったとしても、ラズリはセレスト・セレスティアン王国の王位継承者だ。確かジェラルド陛下の体調が思わしくないことから、ラズリが十八になる前に王位継承の儀を検討していると聞いている。
 学院を卒業すれば必ず魔法使いになれるというわけではない。だが、ラズリほどの才能があればきっとすばらしい魔法使いになれるだろう。しかし、ラズリが手に握るものは正式な魔法使いの証の杖ではなく、セレスト・セレスティアン王国統治者としての重い責務。
(だけど、ラズリはそれを承知の上で、この学院に来たんだ…)
 時計塔に続く階段室で二人で見たあの夕陽---眩い黄金色に染め上げられた空を、同じ気持ちで見つめていたあのひと時。ラズリと何でも分かり合えるのではないかと思った……思っていた。
 でもそんなのはただの思い上がりだ。彼の一体何を分かっていたというのだろう。
「ホントに、馬鹿みたい…」
 ぽたんと膝に涙のしずくが落ちる。涙が出るのは悲しいからではない、悔しいからだ。ラズリのことを何もわかっていなかった自分がただ不甲斐なくて悔しかった。
 よく「時間がない」と言っていたではないか。ラズリ・マーヴィとして過ごす時間がないということだったのだと、やっとわかった。人を寄せ付けようとしないのは意地悪なんかじゃない。今ある時間を精一杯、悔いがないよう過ごしたいから。
(あたしに出来ることなんて、ひとつもないんだ)
 そう思うと急に悲しくなった。
 ラズリにとっては、自分はただのクラスメイトに過ぎない、その他大勢のひとりに過ぎないのだから。ただ見守ることしか出来ないのだろうか。ティーナは考える。
 ラズリが危ない目に遭わないように? だけど、どうやって? 
 少しでも力があればよかったのに。ティーナは唇を噛み締めた。かつてティーナが持っていた古い力。あればあれば、ラズリの役に立てたかもしれないのに。
(多分あの日からだ)
 当たり前に使えた空を飛ぶ力すら、今は失われてしまっていた。幼いあの日、王宮でラズリの冷たい手を握ったところまでは憶えていたが、その後自分が何をしたのかティーナ自身よく憶えていなかった。
「なんや、もう起きてもいいんか?」
 物思いにふけっているティーナの耳に、子供のような声が飛び込んできた。ティーナは弾かれたように顔を上げる。しかし、この部屋にはティーナひとりしかいない。
「……だれ?」
 恐る恐る声を掛ける。
 声は違うけれど、この独特な訛りは、どこかで聞いたことがあるような気がした。部屋のあちらこちらを見回しても、やはり誰かいる気配はない。まさかセレが悪戯でもしているのではと思ったが、それも違うようだ。
 空耳かもしれない。思い直してティーナが椅子から腰を上げようとしたその時、また例の声がした。
「ティーナ、こっちや。こっち!」
 今度こそ間違いない。しかもやけに間近で声がする。まさかと思い、ティーナは窓に目をやった。当然そんなところに人などいるわけながい。ここは寮の四階なのだ。魔法でも使わない限り、こんな所に誰かがいるわけがない。
「誰なの?」
 窓枠に手を掛けると、ティーナは窓から身を乗り出した。
「ここや!」
 真下から声が上がる。恐る恐る目線を下に向けると、ティーナが手を添えている窓枠に声の主を見つけた。ふわふわとした薄灰色の毛並みをした小さな生き物が、つぶらな黒い瞳でティーナを見上げている。硬直したティーナの目の前で子ネズミは長い尻尾でくるりと動かすと、小指の爪よりも小さな前足を挨拶をするように高く掲げる。
「……わいのこと、わかるか?」
 申し訳ないが知り合いにネズミに知り合いはいない。しかも言葉を喋るネズミなど見たこともない。
 ネズミは必死に何かを訴えかけよとうしているが、ティーナは何の反応も示さない。ネズミはしょんぼりと長い髭を下に垂らす。
「き、き…」
 ティーナの口から漏れた謎の言葉に、ネズミは首を傾げる。
「き?」
 次の瞬間、
「きゃあああああああああっ!!!」
 とてつもなく大きなティーナの悲鳴が部屋中に響き渡った。



「いやー、まいった。あんなに驚かれるとは夢にも思わなかったわ」
 窓枠にちょこんと座って髭をそよがせているネズミはため息まじりに呟いた。このネズミの正体が実はアガシだとはすぐに理解できなかった。
「……本当に、アガシなの?」
 おっかなびっくりティーナは訊ねる。疑っているわけではないが、どうもぴんとこない。するとネズミ…いやアガシは得意げにビーズ玉のような目をくるりと動かした。
「わいの一族は代々魔法使いやからな、この魔法はじいちゃんから教わったものや。恐らくこの魔法は学院では恐らく教えてくれへん」
 アガシの話によると無事に卒業し、本格的に魔法使いとしての修行に入る者だけに授けられる魔法書に記述された術のひとつらしい。「だから内緒な」とアガシは用心深げに鼻をもぐもぐさせる。その愛らしい様子とアガシの真面目な口調が噛み合わず、つい笑いがこみ上げてしまうのを止められない。
「ここは笑うところやないぞ、ティーナ」
 アガシは困ったように尻尾を振り回す。
「…ごめんなさい」
 しかし、どうしても目の前にいる子ネズミがアガシだとは思えない。昨日あんなことがあったばかりだとういうのに、普通に話ができるるのはそのお陰だろう。
 ふと、ティーナは素朴な疑問を口にしてみる。
「どうしてこんな姿をしているの?」
「どうしてって、決まっとるやろうが。ここは清らかなロータスの乙女たちが集う神聖なる女子寮や、わいがティーナのもとへ行くには、あの姿ではどうにもならん。あのおっかない寮長センセに門前払いや」
「確かにそうかもしれないけれど…」
だが、こんなことまでして女子寮に忍び込む理由は何だろう。そう思った途端、わけもなく胸の鼓動が早くなる。
「ホンマはこんなネズミじゃのうて、可愛い小鳥にでもした方がティーナも喜ぶかと思うたけど、鳥は扱いがしんどくてな……って、そんなことはどうでもええわ。一刻も早くティーナに言わなあかんことがあって、な」
 突然子供じみた声に真剣味が宿る。本来の姿である時の声とは天と地ほども違うが、目の前にいるのは確かにアガシなのだ。アガシは神妙そうに髭を振るわせる。
「ミランダ女史には係わらん方がええ。いいや、金輪際係わるな、ええか」
「ミランダ……先生?」
 思い掛けない名前にティーナは目を瞬いた。
「どうして?」
 するとアガシはきっぱりと言った。
「勘や!」
 あまりにも自身ありげに言うのでティーナはがっくりと脱力してしまう。
「……勘って、そんな」
「勘を馬鹿にしたらあかんで。人間の勘ってのは、結構当てになるもんや。だからティーナ、約束してくれ。絶対にあの先生に近づかんと」
 アガシは窓枠に必死にしがみ付きながら、黒いビーズのような瞳で必死にティーナを見上げている。その姿があまりにも一生懸命で、微笑ましくすら思えてしまう。
「うん、わかった。ミランダ先生に会わないように気をつけるね」
「あかん。『会わないように』じゃのうて絶対に『会わない』って約束してくれ」
「絶対にって言われても……それは難しいと思うんだけど」
「ティーナ!」
「わかった、わかったってば」
 一体どうしたんだろう。こんなことのためにアガシはわざわざ魔法まで使って、伝えに来たのだろうか。
「アガシ、まさかそれを言うために?」
「せや、手遅れにならんうちに言わなあかん思うてな」
「でも、どうしてミランダ先生に係わるななんて…あたしはちょっと苦手だけど素敵な先生じゃない?」
 ミランダ先生は特に男子生徒の間ではかなりの人気のはずだ。ティーナ自身、少々苦手とは言えどもやはり女性として憧れる部分も多い。
 するとアガシは勢いよく尻尾を振り上げると自信満々に言った。
「阿保抜かすな。ティーナの前では、どんな女も霞んでしまうわ」
「ア、アガシってば! もう冗談ばかり…」
「冗談じゃあらへん」
 ティーナの言葉を遮ると躊躇うように俯いてしまうが、すぐに何かを決意したかのように小さな頭を真っ直ぐに上げた。
「………ティーナ、わいは…」
 アガシが何かを言おうとしたその時だった。コンコン、と扉をノックする音が響いた。
「ティーナ、もう起きてる?」
「ディーン先生からいいものをいただいたのよ」
 カレンとセレの声だ。こんなところにアガシ、いやネズミがいたら二人とも大騒ぎになるだろう。
「え、あの。ちょっ、ちょっと…」
 待ってて、とティーナが静止する前に、扉は勢いよく開いた。どうやら二人とも走ってきたらしい。カレンとセレは頬を薔薇色に染めて部屋の中に飛び込んできた。
「ティーナ、具合はもういいの?」
「え、あ、うん」
 生返事をしながらもアガシの姿を隠すように、窓の前に立ちはだかった。二人はティーナの元へ駆け寄ると、ほら見てと言わんばかりに手にした茶色の小箱を差し出した。
「ディーン先生から、ティーナにご褒美!」
「今回の試験をよく頑張ったって、ディーン先生がティーナのことを褒めてたよ」
「ほら、見てみて! なんとシャムロックのマロングラッセ!」
「全部食べちゃおうかと思ったんだけど、ティーナの分も取っておいてあげたんだから」
「あ、ありがとう」
 二人の勢いに圧倒されながら、ティーナはマロングラッセの小箱を受け取った。すると今度はセレが意味ありげに、にっこりと笑う。
「それとティーナ。昨日は聞けなかったけど、今夜はたっぷりと聞かせてもらうからね」
「え、何を?」
 きょとんとするティーナに、続けてセレが含み笑いを浮かべる。
「決まってるじゃない。昨日のことよ。昨日アガシが迎えに来てくれたでしょ?」
「え、えええっ」
 途端に顔を真っ赤にするティーナを、カレンとセレは両脇から羽交い絞めにする。
「そんなっ、別に話すことなんて何も…」
「うーそだあ。その真っ赤な顔が何よりの証拠でしょ」
 カレンは真っ赤に染まったティーナの頬を指で突く。
「何もないってことはないわよねえ、あんな絶好なシチュエーションに、あのアガシが何もしないなんて考えられないもの」
(お願いだから、その話題はやめてええええ…)
 すぐそこに話題の張本人がいるというのに!
 カレンやセレがそんなのことを言うものだから、昨日の様々な出来事が思い起こされてしまう。思い出せば思い出すほど、どれも人に話せるものではない。
「本当に、本当に何もないってば!」
 ちらりと背後の窓枠に目をやる。が、窓枠にはすでに薄灰色のネズミの姿はなかった。ティーナはこの場にアガシがいなくてよかったと安堵するとともに、アガシにまだ昨日のお礼を言っていなかったことを思い出す。
(アガシ……)
 それから、どうやったらこの二人の追及を逃れられるだろう。色々考えなければいけないことは山のようにあった。しかし今、ティーナが解決しなければならない中でも、これはかなりの難関だった。

              *    *    *    *

 今回ばかりは黙っているわけにはいかない。夕べの食事の時間だけならまだしも、午後の授業までサボるとは。確かにこれまでも素行面では色々問題を起こしてきたが、学業を疎かにすることなどなかったはずだ。
(原因は、彼女か)
 ティーナ・アルトゥン。取り立ててすぐれたところも見つからない、自分の意思もはっきりと言えない泣き虫な少女。
(あんな奴の、どこを気に入ったというんだ?)
 昨日の怪我が思わしくなかったらしく、今日は大事を取って休んでいた。しかし、ちょっと足を挫いた程度で学校を休むほどではなかったはずだ。
 アガシがこれまで興味を示した女性のタイプとはずいぶんかけ離れていた。だから物珍しいだけで、すぐに飽きるだろうと思っていたから、まさか本気になるとは夢にも思わなかった。
 だが、別にそんなことはどうでもいい。アガシが本気で恋をしようが遊びでしようがちっとも構わない。ラズリが腹が立つのは、そんな色恋沙汰ごときで学業を疎かにする行為自体だ。
 いくら長子でないとはいえ、アガシは古くから続く魔法使い一族だ。どんなに努力してもけして魔法使いになれないラズリとは違う。
(なのに、それをすべて台無しにするつもりか?!)
 さっき中庭で意識を手放したアガシの姿を見つけた。彼が魔法で小動物に身体を借りて、あらゆるところへ冒険をしていることは以前から知っていた。恐らく、いや間違いなくアガシは例の魔法でティーナのところへ行ったのだろう。あの出来損ないの、すぐに泣き出す少女のもとへ。
「……あいつは馬鹿か?!」
 思わず声に出さずにはいられなかった。
 一族の猛反対を押し切り、特待生としてこの学院に入学するのは、並大抵な努力ではなかったはずだ。にも拘らず、その努力を簡単に溝に捨てようとするアガシの態度が信じられなかった。
 予告もなく扉が開いた。疲れた様子のアガシがふらりと姿を現した。
「ただいま」
 ラズリは苛立ちを押さえ込むと、静かに訊ねる。
「…今までどこへ行っていたんだ」
「ああ、ちょいと野暮用や」
 アガシは曖昧に笑うと、珍しく自分の寝台へ向かおうとする。
「待てよ」
 すれ違う瞬間、ラズリはアガシの肩を掴んだ。
「何や」
 アガシの黒い瞳に一瞬物騒な光が宿る。しかしラズリは怯みもせず、アガシに問いを投げ掛けた。
「お前、午後の授業に出ていなかっただろう」
「ああ……ちょいと気分が悪ろうて休んどったわ」
「へえ、だから中庭で休んでいたのか」
 一瞬、沈黙が流れる。だがすぐにアガシはへらりとした笑顔を浮かべる。
「……なんや知っとったのか、いややわあ」
 いつものようにおどけた調子で、やんわりとラズリの手を振り解くと、そのまま寝台に向かった。
「ちいと調子が悪い見たいや。授業に出るのもしんどくてな」
 言い訳じみたひとり言を呟くと、どさりと身体を横たえる。
 疲れているというのは本当だろう。アガシの横顔には疲労の色が色濃く滲んでいた。だが今回ばかりは見逃すわけにはいかなかった。ラズリはアガシの横たわった寝台に歩み寄ると仁王立ちになる。
「そりゃあ『憑依の魔法』を使えば、さぞしんどいだろうよ」
「なんや、ばれとったか」
 アガシは悪戯が見つかった子供のように小さく舌を出した。こっちがどんなに真剣に接しても、アガシは真面目に取り合おうとしない。ラズリの苛立ちは頂点に達した。
「『なんや、ばれとったか』じゃないだろう!」
 思わずアガシに掴みかかる。するとアガシは何事かと驚きの表情で訊ねる。
「なんや、今日はやけに絡むな。どうしたん、ラズリ」
「午後の授業サボっただろう。どういうつもりだ!」
 ラズリの上からものを言う態度が気に食わなかったのか、アガシは険しい目をラズリに向ける。
「お前には関係あらへん」
 胸元を掴んだラズリの手を強引に振り払う。
「関係あるとかないとかではないだろう。お前のために言っているんだ、アガシ。たかだか授業のひとつやふたつだと思っていたら大間違いだぞ。ほんの些細なことでも自分を追い込む態度は取るんじゃない」
 するとアガシは小さく笑うと、乱れた襟元を直しながら言った。
「わかっとる、わかっとるって。でもなあ、早よう伝えなあかんことがあったんや。ティーナの身に何か起こってからじゃあ遅い」
「……やっぱりティーナか」
 ティーナ・アルトゥン。ラズリは苦々しくティーナの名を呟いた。
「あんな小娘のために、お前は自分の人生を台無しにするつもりか」
「人生って……なんや大袈裟やなあ」
 のんきそうにアガシは呟く。それがラズリの怒りに火を点ける。
「お前は…………何もわかっていない」
 この学院で過ごす時間がどれほど大事なものか。砂のように零れていく時間は二度と戻らないことを、どうして気づこうとしないのか。ラズリは自分の苛立ちをアガシにぶつけていることに気づいていた。自分にないものを持っていて、それを欲しいと駄々をこねる子供と同じ行為だと嫌というほどわかっていた。
 アガシがうらやましかった。他の学院の連中も、あのティーナもだ。未来にある数限りない選択肢の中から自分の将来を選び出すことができる。とは言っても、誰もが自分の望む未来を手に入れられるわけではない。だが夢を見ることならできる。
 あの落ちこぼれのティーナだって、努力すれば魔法使いになれるかもしれないという希望は持てる。
 それなのに、自分には未来を夢見ることもできないなんて。
「……ラズリ、どうしたん?」
 心配そうなアガシの声に、ラズリは我に返った。
「………………なんでもない、感情的になって悪かった」
 ラズリは決まり悪そうに呟く。
「ああ、ええ、ええって。わいなんかそんなんしょっちゅうや」
 そう言ってアガシはからからと笑っていたが、思い直したようにぴたりと笑うのをやめると、改まった風に寝台に座り直した。
「すまん。ラズリは卒業したら家督を継がなあかんかったな。この学院で過ごす時間は何ひとつ無駄に出来ひんな」
「いや……」
 こうも素直にアガシから折れられてしまうと、どうも決まりが悪い上、自分がいかに子供っぽかったかを思い知らされる。ラズリもアガシと肩を並べるように、寝台の上に腰を下ろした。
「だけどそれはお前だって同じはずだ、アガシ。お前は努力もしているし素質も才能もある。なのに、お前はいつもあっち方面で損をしている」
「あっち方面……ああ、あっち方面な」
 ラズリが何を言いたいのか気づいて、アガシ得意げに言った。
「ラズリはどでもいいいみたいに言うがな、わいにとっては魔法使いになるのと同じくらい…いや、もしかしたらそれ以上に大切なことかもしれん」
「……よくもまあ、抜けぬけとそんなことが言えたものだな」
 呆れ返るラズリに「まあ最後まで聴けや」と制して、にやりと笑う。
「色恋沙汰なんていうと、なんやくだらんことに聞こえてしまうかもしれん。だがな、人を好きになることがどうしてくだらないんや? おとんやおかんが出逢って好きおうたから、わいが生まれたんと違うか?」
「確かにそうかもしれないが、限度というものがあるだろう。お前の五股、六股はやり過ぎだ」
 するとアガシは悪びれもなくこう言った。
「それはたまたま『ええなー』と思う女の子が、たまたま複数いただけやて」
 たとえ気になる人間が複数いたとしても、実際に実行に移す人間はそうそういない。ラズリはやれやれと肩をすくめる。
「あの人間信号機じゃ、そいうお前の考え方にはついていけなそうだな」
「大丈夫。今はティーナ一筋や」
「ああそうかい。まったく、あの子のどこかいいんだか僕には到底理解できなそうだ」
「……知らんでええわ」
「え…?」
 てっきりあんな良いところも、こんな良いところもあると説明されるかと思っていた。予想もしていなかったアガシの言葉に、今度はラズリの方が驚いてしまう。
「アガシ?」
「ティーナの良いところなんて、お前は知らんでええ。わいだけが知っとればええわ」
 どうしてそんな目を向けられなければならないのだろう。アガシは挑むような目でラズリを見つめている。まるで宣戦布告をされているような…そんな気がして、ラズリはただ戸惑いながら、アガシの眼差しを受け止めていた。
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すごいよ!いさなさん…!
 うわーい♪ 新章掲載!
 いさなさんオツカレさまでした~!
 アガシの子ねずみ姿に「空色勾玉」の狭也ちゃんを思い出したりvv
 ミランダ先生に近づくなの根拠が「勘や!」にはアガシらし~vvとにまにましながら読んでおりました♪
 ラズリとアガシのケンカもハラハラしながら読んでおりましたが…
 ああっ! こんないいところで!\(◎o◎)/
 …ががが、がんばりますね続き♪

 女子寮からの眺めがとてもよさそうですね~。私は読みながら高原にでもいるような心地よさを味わっておりました。
 緑のにおいを含んだ湿り気のある風がそよと吹きこんでくるような様、なんかをね♪

 なーんて(^^ゞ
 リリカルポエマー魂を発揮したところで退散しますです~。こせこせっ。
やまのたかね 2006/10/18(Wed)09:56:54 編集
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