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つかめそうでつかめない、その感覚はまるで池に落ちたボールか何かを拾おうとするかのよう。
 水面をのぞきこむとそこにちゃんと見えているのに、実際は水の屈折で視界はゆがみっぱなしなのだ。
 そのせいで、どんなに狙いを定めてから水中に手を差し入れても、位置がそれてついつかみそこねてしまうのがせいぜい関の山。実際は水の中に手を入れたまま、手探りでボールを探し続けることになってしまう。 
 もう少し…本当に、もう少しだのに。
 ティーナの記憶に残る、うすぼんやりしたその人の面影が、ゆらいでは消えて遠ざかる。
 あとほんのいくつか、ちょっとしたきっかけがありさえすれば、すぐにでもはっきりしたその容姿がまぶたの裏で像を結ぶというのに…。
 そうは思いつつも、ティーナにはやはり、どうしてもラズリが誰かに似ていることをついぞ思い出すことはできなかったのだ。
 ――いっけない、あたしったら。
 ふと、ティーナは我に返り、自分がこの裏庭までやって来た本来の目的が何かを思い出した。
 昼休みの時間はごく限られている。いつまでも自身の気がかりなことに呆けている暇はない。
 何しろ校内は旧校舎・新校舎・別館・専門教科棟などに分かれ、生徒たちの寄宿舎でもある寮まで含めたらやたらと広く、ティーナが当てもなく、誰の助けも借りずに、たった一人でアガシの姿をそれらの中から探し出すことはえらく骨が折れる作業なのだ。
 しかしそれでいて、また手が空いた時に改めて、という気分にもティーナはなれそうになかった。
 時が経てば立つほど、こうしたちょっとした気持ちの行き違いから生ずる問題というのは、面倒を後回しにした分、以後も尾を引きずって何らかのしこりが残ることにもなりかねない。
 何しろついこの間の自分とカレンの一件が何よりいい見本ではないか。
 自分のもともとのぐずな性格や、カレンの持つ激しい気性のせいもあるが、仲直りするきっかけをつかみ損ねてしばらく気まずい思いを抱えていた。
 それを多少、強引といえなくもなかったが、アガシのおかげでカレンとの仲が修復されたのだ。今度は自分がアガシとカレンのために一役買いたいと思うのは、彼女にとっても本意であり、半ばごく自然な成り行きであった。
 だから、だから早くしなくちゃ。今のうちになんとかしなくちゃ…。
 そんな焦りが働いたからか、ティーナは自身の思いのままに「そうよ、アガシを探さなくちゃならなかったんだわ」と、言葉にしてつぶやいてしまった。
 すると、それに応えるかのように「わいならここにおるで」と彼女の頭上から聞き覚えのある声がにわかに降ってきた。
 その声に導かれるままにティーナが頭上を振り仰ぐと、天に向かってまっすぐ伸びるハンの木の、すらりと伸びた枝の上に、よくよく見知った彼がくつろぐようにして座っている姿が彼女の視界に勢いよく飛び込んでくるのだった。
 「アガシ…! ど、どうして」
 「嬉しいねえ。ティーナがわいのことそんな血眼になって探してくれはるなんて。わいもつくづく男冥利に尽きるわ。…よっと」
 あんぐりと口を開けて驚くばかりのティーナをよそに、アガシは自然に身を起こすとえいやっと弾みをつけ、彼女の前に飛び降り、とんっと膝をついて着地する。
 え、それじゃ、じゃあ…。もしかして、アガシはラズリとタリアのことだけじゃなく、あたしとラズリのことまで知って…?
 先ほどの出来事を終始、彼に見られていたかと思うと、またまたかーっと耳の付け根まで一気に赤くなるティーナだった。
 しかしアガシはそんな彼女の心情を知ってか知らずしてか、普段通りの何でもない様相で「…で? 何か用か?」とたずねてくるので、ティーナもなるたけ平常心を装い、素知らぬフリで彼に合わせることにした。
 何しろ先ほどラズリから「感情を表に出しすぎる」と指摘されたばかりでもあったのティーナであった。
 自分でもそんな欠点ともいえる性質を直そう、直したい、直さなくてはと常日頃から考えていたこともあったので、とにかくまずはそれを実行に移すべく努力をしてみることにしたのだ。
 そんなわけでティーナは、かっかと熱くなるばかりの胸の内を押さえながらも「そ、それなんだけど」身を乗り出すようにしてアガシと向き合った。
 「あの、ねアガシ。…ね? お願いだからカレンと仲直りして」
 「カレンと?」
 少しだけ眉根を寄せて聞き返す。それに呼応するかのようにティーナもぎくっとして一瞬だけ、身構えた。
 やっぱり…アガシはカレンのことが――。
 ティーナは彼が口には出さないまでも、まだ先ほどのカレンの暴言を許せず、彼女に対して心底、怒りをぬぐえないでいるとその様子から判断したのだった。
 しかしそれは単にティーナの先走りすぎ、ほんの杞憂にすぎなかったらしい。アガシはやおら表情を崩すと、くつくつと喉の奥を震わせて愉快そうに笑みをこぼしはじめた。
 「あ、アガシ…?」
 「いやいや、何もないでホンマ。そう気にせんとき」
 一定のリズムでスナップをきかせながらぱたぱたと手を振り、ティーナの不振がる気持ちを一掃させるアガシ。
 それから、少しだけおどけるフリをして小さく小首をかしげると「そやな」と後を続けた。
 「…ティーナにそこまで言われたら、さすがのわいもかたなしや。別に仲直りくらい、してもええねんけど…。せやけどタダで、っつーのもちぃとばっかしわしにとっては分が悪いし、シャクに触るしのぉ。…ま、ティーナからもらうもんもろたら、考えんこともないで?」
 「あ、あたしが…アガシに? いったい何をあげたらいいの?」
 何を言い出されたのかと思い、きょとんとするティーナにアガシはにいっと笑いかけ「そら決まっとるがな」と即座に返してよこす。
 そして悪戯小僧のように目を輝かせながら、彼女の唇を人差し指でちょいとつつき「…これや」と声をひそめてささやくのだった。
 「ああああああああ、アガシ…! なななななな、何…!」
 反射的にアガシのそばから離れ、盛大に後ずさりするティーナ。彼の唐突な行動には慣れていたつもりだが、あまりにも大胆すぎるアプローチの仕方にはいつにもまして度肝を抜かされずにはおられなかった。
 「お。いいねえ、その反応。めっちゃ新鮮やわあ」
 ひゅう。口笛をひとつ吹き鳴らし、アガシはにかにかと笑いながらティーナの慌てぶりを人事のように楽しんだ後、さらにダメ押しとばかりに彼女にウィンクをひとつよこす。
 「なーんもぶったまげることなんざないやろ。まずご褒美っつったら、麗しの女神さまからの熱い抱擁(ハグ)と接吻(キッス)っつーのが相場やで? そないなもんはな、神話創生の昔っから決まっとろうが」
 「なななななな、何でそうなるの…! ダメダメダメダメ、それだけは絶対ダメー!」
 ゆでだこのように顔を赤らめながら、拳を固く握り締めて大声を張り上げるティーナ。
 アガシに対して力いっぱい、全身でもって徹底的に拒もうとする、そんな彼女の態度がよほどおかしかったのか、彼は身をよじるほどけたけたと笑い転げて大いにウケまくった。
 そしてあまりにも興奮して激しく笑った反動なのか、次第に呼吸をヒーヒーとさせていき、しまいにはうっすらと眦に涙まで浮かべる始末だったのだ。
 「アガシったらっ。ちょっと、もぉ…いいかげんに人をからかうのやめてよ…!」
 もういや、なんでこんなにこの人ってば…!
 ティーナの彼に対するあからさまな拒絶反応が引き金とはいえ、さすがに目の前でずっと人を笑い者の種にされ続けていてはちっとも面白くない。
 ただひたすらむっつりと、横一文字に口を結んだまま憮然とアガシの前に立つティーナ。
 そんな彼女の存在に気付いたアガシは、徐々に笑い声を小さくさせていきつつ、と急にそれまでの態度を改め、「はいはい、自分が悪うございやんした」と両手を挙げて降参のポーズを示した。
 「わあっとる。さっきはわいもせいぜい男らしゅう態度やなかったな。心配せんでええ。ちゃんとカレンとはいつも通りや。仲良ぉするで」
 「…そう。それなら、それでいいんだけども」
 アガシにつられるようにぽつりとそう返してから、何かを思い出しかのように、ティーナはさらに先のセリフに付け足す。
 「あ、あのね。大丈夫よ、カレンも自分が言い過ぎて悪かったってちゃんとわかってるから。だから私からも…ごめんなさい」
 深々と頭を下げてティーナはアガシに謝罪の意を示した。
 するとアガシは「およ?」と最初いぶかしげな表情を作るものの、ふっと唇の端をほころばせてすぐに「まあまあ」と彼女の肩を叩いてそのうつむいていた顔を上げさせた。
 「そこが君のええところなんやな」
 促されるままアガシと向かい合うと、おずおずした目つきで彼の顔色をうかがうティーナ。
 そんな彼女に、アガシはさらに眦を下げ、実にやさしいまなざしを送りながら、そっと首を振って彼女の気持ちを取り成してやるのだった。
 「あんなあ、ティーナ。いくら仲良ぉて親しいっちゅう友達のためとはいえ、あえて損な役回りだのに、進んで仲裁を買って出るたあ、えらい骨のある奴やで。下手にあれこれ動き回ったせいで、もしかすっと、逆にどっちの仲も最悪になりかねない状況かもしらんのにな。そんだけのリスクをあえて承知で引き受ける覚悟があるヤツぁ、そうおらんと思わへんか?」
 小首をかしげてアガシは彼女に同意を求めるが、ティーナは何のことやらわからず、ただほけっと彼の顔を眺めるばかりだった。
 アガシはそんな彼女にかまわず、さらにとんとんと先を続ける。
 「誰だってなあ、自分が嫌な思いをしたり、相手のために奔走した挙句に、いらぬとばっちりをくらって、かえって気まずい思いを味わうなんてとうてい好かんやろ。まして、うちの学校の教育方針は完全に個人主義や。他人に手を貸して手助けすることさえも、それぞれが成長する過程において一切ジャマなもんと切り捨てて、あえて禁止しとるところやで。自分の評価がそれによって下がるかもしれへんのに、見返りも何も求めず、あえて他者に手をさしのべるやさしさを、うんと持っとるんやな。…ティーナ、君は」
 ――え? あ、あれ? それって、ちょっと。い、今あたしのことを言っていたの? アガシは。
 そ、そんな風にいわれると…。
 ティーナはアガシにずいぶんな自分のことを過大評価をされすぎた感があると思うと、恥ずかしさでいっぱいになり、急にいてもたってもいられなくなってしまった。
 あの場の勢いではどうしても自分が一肌脱いででも行動せざるをえなかったこともあるため、全くアガシの言う通り、自ら進んで仲裁の役目を買って出たわけではない故、本当はあまり威張れたものではないのだが…。
 「だって…だって。アガシには…カレンのことでいろいろとお世話になったもの。だから、あたし…」
 「はは、相変わらず義理固いんやな、ティーナは」
 「そ、そんなこと…! あたし、あたし…。ちゃんと心からそう思ってるよ? それに、いやなの。こんなことで、誰かが誰かといがみあったり、仲違いするのは」
 あの時のような、砂をかむような思いは、もうけして味わいたくはないから…。
 ティーナはふと、カレンの怒りを買った図書館での例の件を思い出して、きゅっと唇を引き結んだ。
 そんなティーナの気持ちを知ってか知らずしてか、アガシはふうと表情を崩しながら、少しおどけるような軽口をたたく。
 「ま、それだけやのうて、この際やからもっとわいをうぬぼれさせてくれることをあんさんには言うてもらいたいもんだがな」
 にかっと白い歯を見せて笑うアガシ。だがすぐ、いつになく真剣なまなざしでティーナに向かい、きりりと姿勢を正す。
 「たった一言でええ。それだけでええんや。アンタがその一言をわいのためにだけ捧げてくれはったら、そらもう天にものぼる気持ちで何だってしたる。あの空の星をほしい言うたら、命かけても取ってきたるで。…ティーナ、君のためなら、な」
 アガシは静かに指先をのばすと、ティーナのゆるりとうねる巻き毛に指をかけ、そっと一朔をつまみ取り、自分の口元に当ててやさしく接吻けた。
 普段から何かとあいさつがわりよろしく、肩をたたいてきたり、頭をかいぐりしたり、頬をつねってきたりと盛んに触れ合いを求めてきた彼だったが、今のは何故だか妙に間接的すぎる故に何だか変な気分で、ティーナは胸のどきどきをさらにいっそう激しくさせるのだった。
 「そのハンカチ、な」
 言われてティーナは視線を落とす。いつの間にか自分の胸元でしっかりとそれを握りしめていたのだった。
 「ちゃんと自分でラズリに返すんやで。それだけはいくらティーナの頼みでもいややで。さすがにそこまではわいも面倒みきれへんからな」
 「あ、あ…。う、うん」
 「まあ、わかってても自分の恋敵に塩送るような真似事はしとうないんでな」
 それだけを言うと、アガシは「ほな、わいは先に行っとるで」とティーナをその場に残して去っていった。
 ティーナは目まぐるしく過ぎていった怒涛の洪水のような出来事に、ただひたすらついていけない気分を味わいながら、ラズリから手渡されたハンカチをぎゅっと握りしめるのだった。


** * ** * **



 「週末のテストの結果! もう張り出されてる。今週のトップは誰だと思う?」
 週明け直後の第一日目。全ての授業がつつがなく終了し、ティーナとカレン、それにセレが揃って教室を出ようと席を立つやいなや、ドアがばたんと開け放たれて生徒の一人が飛び込んできた。
 「どうせラズリだろ? 見なくてもわかるさ」
 「しっかし、くやしがるだろうなあ、レガのヤツ。何せどの科目もダントツだろうしさ」
 教室に残った生徒たち同士がわいわいと話しながらそろってぞろぞろと物見遊山の気分で順意表を見に行くそばで、カレンとセレは顔を見合わせて互いにうなづきあうと「自分たちも早く行こう」と言わんばかりにその場をたっと駆け出しかけた。
 だがティーナはそんな二人を見送る側に一人だけなろうというのか、彼女らの後に続いてはいるものの、歩く速度は普段とあまり変わりない。いや、むしろわざと遅れて行こうというのか、のろのろとした牛歩の歩みに近かったのだ。
 「ほらぁ、ティーナったら…! どうしたのよ?」
 カレンがしびれを切らしたらしく、肩越しに振り向いて急かす。
 「ティーナもうんと試験勉強がんばったんでしょ? ね、だもの見に行こうよ」
 続いてセレも促すが、ティーナはそれにも即応じる仕草は見せず、どうにもぐずぐずとした態度をとり続けるばかりだった。
 「いいわよ、二人で先に行ってて。あたしは…別に。どうせまたどんじりに近いんだろうし」
 確かに、皆が口々にしているラズリの首位奪還の現場をこの目でちゃんと確かめたい、という気持ちはティーナにもあった。
 でもそれは同時に、優秀な成績を修めたラズリとの対比で、自分の劣等生ぶりを改めて再認識させられるということが、順位表の下に立つまでもなく、こうしているだけであらかじめわかってしまうのがやるせない事実だった。
 全校生徒の名前が点数付でどどんと張り出される試験順位表は誰にとっても恐怖の対象だったが、例え寝る間も惜しんで試験対策に没頭しても、しょせん自分の成績などたかが知れていた。毎度の如く、どうせみじめな結果に終わるだけなのだから、とりわけティーナにとってそれは見たくない代物だったのだ。
 「そうしょげたことぼやかなくてもいいじゃない。…ほらあ」
 セレはティーナの元に寄ると、どうにも浮かない顔で、気が進まないとでも言いたげな態度を示したままの彼女の腕を強引にひっぱった。
 それにつられるようにして、ティーナは彼女たちと一緒に連れ立って教室を出ると、廊下にずらずらと張り出された試験順位表の下に立った。
 「ちょっと! 信じられる? ラズリの点数! カルヴィン先生の魔法力学応用でどうやったら満点なんて取れるの!」
 「あの先生、やたらこすい問題作ってひっかけるので有名じゃない。今週やった所じゃない、ずっと前に習った例題を突然もってきたりしてさあ」
 「それで出来なかったら、“諸君、ここはとっくに習っていたところですよ? なのにおかしいですね間違うとは”なーんてイヤミたっぷりに答案を返してよこすしねえ…」
 集まった生徒たちの口さがないおしゃべりをかきわけながら、三人は壁に貼られた順位表の中から、まずは何といってもラズリの名前を探し出した。
 何科目もあるというのに、どれにも彼の名前が、しかもほぼ満点かそれに近い点数がその下に書き込まれているのだから、それは誰にとっても驚きを通り越して脅威でもあった。
 「うっわ、ホントだわ。見た見た見た? ティーナ! セレ! ラズリがラズリが、今週はやってくれたわよお…! さすがあたしのラズリね!」
 ここぞとばかりにはしゃぎまくるカレンにティーナは気圧された気分になったが、それでも彼女と同様、ラズリに「おめでとう」と寿ぎを送りたい気持ちは何ら変わりはなかった。
 「やっほ。おぜうさんたち、あいかーらず元気やな」
 「アガシ…!」
 声がかけられたと同時に、ティーナの肩にずしりと腕が、重みとなってのしかかってきた。肩越しに振り返ると、そこには見知った顔があった。
 「ラズリ、今週は首席の座を奪還したようよ。すごいわね、さすがラズリだわ」
 興奮冷めやらぬ様子でカレンがそう告げると、アガシは面白くなさそうにけっと喉の奥を鳴らした。
 「はん、あいつはほっといたってかまへん。どうせ首位独走態勢やろ。そんじゃどーれ、おぜうさん方の名前でも探すかあ。…ん? 何や、カレンもセレもすぐ見つかってしもうてつまらんのぉ」
 二人の名前は真ん中からやや上位に近いところに大体並んでいた。カレンもセレも大抵、平均からちょっと上辺りをいつもうろついており、ほぼ安定した成績を常に修めている優秀な生徒だったのだ。
 「さあて、次はティーナやな。どこいらにおるんや、わいの大事な姫さんは」
 「いやあ、やめて! だめぇアガシ!」
 ティーナの願いむなしく、アガシは額に手をかざし、遠くを眺めるような仕草で横歩きで移動しながら、張り出された成績表の順位を追っていった。
 「おーっと、五十番台百番台通過。まだまだ見つからんなあ。ティーナ、ティーナ…。おー、みっけたでティーナ・アルトゥン。ここにおったかあ」
 アガシが大声を上げてやっと探し当てたティーナの名前を指差す。彼女はほぼどんじりに近いところに、同点多数者として並んだ数名の中に入っていたのだった。
 「…だから、見ないでって…言ったのに」
 大げさな彼の物言いが目立ったせいなのか、周囲にいた数名の生徒たちからすかさず冷笑めいたひそひそ声がもれる。ティーナは注目を浴びたことに今しも消え入りたい気持ちでいっぱいになった。
 すると、そんな彼女の横でカレンが何か言いたいことがあるのか、アガシの腕をちょいちょいとつついた。
 「まあまあ。ちょっとアガシ。あっち見てみてよ」
 「へ? どこや…。お、おー!」
 「…ね? すごいでしょ」
 カレンが示したのは魔法薬学の科目だった。首位にはやはりラズリの名前が堂々と記載されていたが、その七、八名前後、アガシよりちょっと下くらいにティーナの名前が燦然と輝いていたのだった。
 「ティーナはね、入学以来ほぼ十位圏内をキープしたまま。一回も下がったことがないのよ」
 「はー。そりゃすげぇ…」
 しじみと感嘆のためいきをアガシはしぼりだし、ティーナにちらりと視線を送る。
 それに気付いたものの、ティーナは彼に何と返答してよいのやらわからなかった。目をそらしてうつむいたきり、しきりに指で唇をもてあそびながらもじもじした態度を繰り返した。
 こんなあからさまに他人から自分がほめられることなど、ちっとも慣れておらず、どうにもいたたまれない気持ちでいっぱいだったのだ。
 「なーんや、ティーナ…! めでたいんやから、もっと喜びゃええのに、ほら…!」
 そんな彼女の背中をアガシは予告なしで思い切りよくばしっと叩きつけた。あまりにも急なことで、驚いたティーナの口から「きゃっ」と小さな悲鳴がもれる。
 「…ったあ。ちょっとお。アガシったら何するのよ」
 「何ややのうて…! ティーナ、こりゃ一種の才能やで。もっと自信持ったらええやないか。やっぱり能ある鷹は爪隠すっちゅうのはホンマやな。なのになしてそんな小そうなっとる。ほらしゃんと背中伸ばして胸張っとき…!」
 アガシはティーナの肩をぐっとつかんでむりやり背中をそらさせ、背筋をぴんと伸ばした。すると自然に腰が引かれ、胸は前に突き出た格好となる。
 そんな彼女の弓なりに反られた体つきを眺めながら、アガシは愉快げにニヤリとした笑みを唇に浮かべた。
 「…お、小柄な割には意外と大きいんやなティーナ。実にわい好みのええ乳しとるでぇ」
 「アガシ…!」
 思わず胸に両手を当てて、彼に視姦されないよう防御の体勢を取るティーナ。
 まったくもう、油断も隙もありゃしないんだからっ。
 憤慨やるかたなし、といった風情でアガシをうんとにらみつけるそばで、セレは二人のやり取りにはさほど取り合わず、のほほんと先ほどの話題を続ける。
 「特に今回はティーナ、本当にすごいじゃない。今までの試験の中でも最高点取ってるでしょ? めちゃめちゃ難しい問題出てたのにねえ」
 「そ、そんなこと、ないもん。たまたま家でずっと育てている草のこととかがいっぱい出題されただけだから、それでみんなわかったようなもので」
 「…は? 家で? ティーナの家にはおっきな温室でもあるんか? 問題に出ていたやつみんな、熱帯のでしか育たない植物だぜ。温度管理もそうやけど、えらく栽培方法が特殊やゆうて、一般家庭で育てるのはめっちゃむつかしいはずやろ」
 驚いて目を丸くするアガシに向かって「あら、知らなかったの?」とでも言いたげな視線をカレンは送った。
 「アルトゥン家といえば代々王室付きの薬師の家系よ。ほら、覚えてない? ついこの間もご病気がちの国王陛下が大きな発作を起こした際に、名だたる魔法医やら薬師やらで医療チームが組まれて全力で治療に当たられて無事、ご回復されたじゃない。その時の取りまとめ役も務めたらしいわよ、ティーナのお父さまがね。新聞にも大きく取り上げられていたし」
 「もう、もう…! カレンったら」
 まるで彼女のことなら何でもござれ、とでも言いたげにぺらぺらと家庭の事情から、好みのものまで朗々と続けるカレンに、これ以上は勘弁してほしいというのか、ティーナは話を中断させた。
 「そんな何でもかんでもアガシに話さなくてもいいでしょ…! カレンったらおしゃべりなんだからっ」
 「ああら、いいじゃない。別に隠すことでもないでしょ、みんな本当のことだもの。それにアガシだって聞いてみたいんじゃないかしら。…ねえ?」
 「そやな。ティーナのことなら何だってわいは知りたいでぇ。中でも特にっ、胸・腰・尻のスリーサイズは重要ポインツやな、うむ」
 「じゃ、それプラス、今日のティーナの下着の色も教えたげようか?」
 「やーめーてー! 何なのよセレまで!」
 絶叫に近い悲鳴を上げて、ティーナは背後からぎゅむっとセレの口を慌ててふさぎ、自分の秘密の漏洩を阻止した。
 一方カレンはそんな彼女たちをよそに「そうよね…。薬草っていう手があったじゃない…」などとぶつぶつつぶやきながら、何やら一人で納得してはうんうんとうなずきを繰り返していた。
 「…えっと。か、カレン…?」
 そんな彼女のただならぬ雰囲気に、どうも嫌な予感が走るティーナだった。
 試験のヤマかけはいつもたいてい外れるのに、こういう時に限ってズバリ的中してしまうのは、何かの法則の結果なのだろうか。
 案の定、カレンは声をかけらてすぐに、くるりとティーナの方を振り向くと、お宝の山を発見した時のようにその瞳をきらきらと輝かせながら、たったいま浮かんだばかりの自身のひらめきを叫ぶのだった。
 「ティーナ、ホレ薬よ!」
 「はあ?」
 「そうよ、そうだわ。いやねえ、もう。ホント、何であたしったらこのことに今まで気がつかなかったのかしら! それがあればこっちのものじゃないの、うっふっふっふっふっ」
 ――まったく、カレンったらいったい何を言い出すのかと思えば…。
 ティーナはあっけにとられ、あきれたと言わんばかりの視線をカレンに送った。
 「ティーナだったらなんとかできるでしょう? ねえ、ちょっと作ってみてよ、お願いだから」
 期待に満ちたまなざしでカレンは自身の両手を合わせてティーナに頼み込んで頭を下げた。
 「わあ、楽しそう、それ。何だかすっごくおもしろそうね」
 「そやな、完成したらぜひわいの分も頼んでもええか?」
 次々とセレやアガシまでカレンに便乗してくる始末。ティーナはあっちからもこっちからもやいのやいのと言われると、さすがに困ってしまって、やれやれという気分でふうと吐息をついた。
 「…そ、そりゃあ。材料さえ揃えられれば、そんなにむつかしい調合じゃなかったと思う。…けど」
 恋なすびともいわれるマンドラゴラの根を雌雄一対。
 ゴオウ、睾丸乾燥末、人参、山薬、ノコギリヤシ…。
 ティーナの脳裏には次々に、薬の材料となる生薬だのの名前がよぎっていった。
 手順は大体、どんな薬の調合でもみな同じ。材料を全て細かく刻んで、乳鉢でひとつひとつ丁寧に乳棒ですりつぶしながら、さらに粉末になるまでそれらをゆっくり混ぜ込んでいく。
 それでほぼ完成ではあるが、さらに通常よりも薬の効果を長引かせたいなら、この場合は自身のまつげを三本抜いて入れ、月の光に一晩当ててから、朝一番に見た葉っぱについている露を一滴入れると、とっても最適。
 そんなことが確か、父親の本棚にあった古い魔法薬のテキストに書いてあったはず。まだ一度もこれを実際に作ったことはないけれど、手順通りに事を進めれば、まず間違うことはないだろう。その本に書かれた別の薬ならティーナは何度か腕だめしにと作ってみたことがあるのだが、ほぼどれも成功していたものだばかりだったので。
 ――だけど。
 「でも…。あたしはそういうの、なんだかいやだな」
 やるせない口調でぽつりと口に出すと、三人の視線が一気に彼女に集中した。
 「だって…。薬に頼ってその人の気持ちを自分に向けさせようとするのよ? たとえ効き目があって、好きな人から好きだって言われたとしても、それはただ薬の力で偽っているだけで、けっして本心からじゃないもの。それに、薬が切れたらたちまち元に戻ってしまうし。それって嘘をついてだましたみたいで…あたしはすごくいやだわ。心から大好きな人なのに、自分のエゴが先走ったばっかりに、嫌な目に遭わせちゃうなんてひどいよ、ひどすぎる…」
 ゆっくりと三人の顔を交互に眺め渡しながら、念を押すように言い含めるティーナ。
 そんな彼女にカレンもセレも思い直したようにうんうんとうなづくと、「わかったわ。もう言わない」と彼女の気持ちを尊重する方向に意見を修正させていくのだった。
 「ティーナのいいところ、また一個みっけ」
 にっと笑ってアガシはティーナの頬をつついた。またしても唐突すぎたために、びくりとティーナは反応を示し、「んもぉ、また?」と彼をじと目で軽くにらみつけた。
 だがアガシはそんな彼女の文句なぞ一切受付けず、そのまま勢いにのって後ろからがしっと彼女の肩に抱きついて、羽交い絞めにするとだーっと早口でまくしたてはじめた。
 「いや、今日はホンマ、恐ろしいくらいにわいはツイとる…! なんかもぉ、今すぐアンタをこの場で一気に押し倒してやりたいくらいや」
 さらにアガシは興奮しすぎたあまりに箍が外れたらしく、そのまま「んーっ」と彼女の頬に自分の唇を寄せていこうとする。
 「いやーっ! ちょっと待ってアガシ! それはダメだったらーーーーッ!!」
 さすがに公衆の面前でそれはちょっと、というよりも確実にティーナは自身の貞操の危機を感じたらしく、思い切り身体をねじって必死の抵抗を試み、やっとのことで彼の腕の束縛から逃げきるのだった。
 「なーんや。ティーナもいけずやなあ。わいのこのあっつい想いのこもったベーゼを受け取ってくれへんのかいな」
 「い、いいいいい、いいわよアガシ。ごめんなさい、遠慮しとくわっ。き、気持ちは嬉しいけど、どうかそれだけはぜったいやめてってばっ。お願いだから勘弁して…!」
 ちぇっと軽く指を鳴らしてしごく残念がるアガシのそばで、ティーナは一人ぜえはあと息を荒げながらぶんぶんと首を振り立てて、きっぱりと断りを入れた。
 そんな二人のかけあいをカレンやセレをはじめ、周囲にいた生徒たちはにやにやしながら、果たしてこれからどこまで楽しませてくれるのかと、その行く末を温かく見守るように眺めていたが、
 「おい、アガシいいかげんにしろよ」
 突如現れた一人の生徒からの横やりによって、その場の雰囲気ははガラリと変わったのだった。
 「…ったく。バカをやるのもたいがいにしないか。ここが校内だってこと、まさか忘れてるんじゃないだろうな」
 「おー。これはこれは、王立魔法学院史上きってのカリスマ大天才さまじゃあーりませんか。おーいえー。やったな、ラズリ。おめでとさん。今週の試験は全科目首席奪還やで」
 アガシがニヤリと笑みを浮かべながら、わざとらしくうやうやしげに腕を前に折りつつ腰を落として頭を下げるが、ラズリはそれを鼻白んだ顔をして「よく言うよ」と冷ややかに返した。
 「おべんちゃらはけっこうさ、アガシ。それよりもあんまり騒ぎを起こしてくれるなよ。君だけならともかく、同室のおれまでとんだとばっちりをくらって迷惑なぞかけられたら、それこそたまったものじゃないからな」
 「はんっ。こぉんの、ど阿保ぉ。わいがそんなヘマするかってんだ。しっしっ。あっち行きよし。せっかくかわええ、わいのおひいさんと束の間の逢瀬を楽しんどるんやから水さすなっちゅーの」
 「お、逢瀬なんかぜんっぜん楽しんでないです…!」
 珍しくティーナの方が勢いこんでアガシのセリフを否定する。
 だが、声を張り上げたそばから、その声の大きさに自身でも驚いてしまい、思わず口を両手でふさぎ、慌ててラズリからばっと視線をそらした。
 「…まあ、どっちでもいいさ。おまえに言われなくても部屋に帰るよ。それにアガシ、君もだぞ。女の子といちゃつくのはいいけど、夕食の点呼までには部屋に戻っていろよ。今日はおれが当番なんだからな」
 「うっせ。おまえに言われんでもわーっとるわい」
 んべっと舌を出して追い払う仕草を見せると、ラズリはまいったなという顔でふっと肩をすくめた。
 「えっと…ティーナ?」
 アガシの背後でいたたまれない表情をその顔に浮かべていた彼女の名前をラズリが呼ぶ。
 とたん、ティーナは稀に見る激しい動揺に襲われたが、なるべく素知らぬフリを決め込んで口をきゅっと引き結んでいた。
 そんなティーナの胸の内の事情などまったくおかまいなしに、ラズリは「いいかい?」とアガシを指差しながら先を続ける。
 「この男は歴代稀に見る女タラシだからね。本気になったら君の方が泣く羽目になるよ。それだけは先に忠告しといてあげよう。同室の自分が言うんだから、まず間違いないさ」
 「あ、なんやそれ…! ラズリ、そないな余計なことなぞ吹き込まんでええわい! わいら親友やないかっ。人の恋路を邪魔せんときっ」
 「おーおー。なーにが親友だよ、こういう時ばっかり人をそういうくくり方しやがっておまえは」
 ぱこん。ラズリは持っていたルーズリーフのファイルでアガシの頭を軽く叩いて、笑い飛ばしながらその場を後にした。
 …ああ、また。やっぱり、渡し、そびれちゃったかぁ。
 ティーナは彼が廊下を曲がり、完全に視界から見えなくなるまで故意に目をそらしていたが、それでもラズリが現れてからずっと、制服のスカートの右ポケットの中に入れていたもののことがしきりに頭によぎり、彼に声をかけなくてはとずっと気をもんでいたのだった。
 ラズリが貸してくれた、ハンカチ。
 彼から自分によこしてきたあの洗いざらしの綿のハンカチを、ティーナはちゃんと心をこめて手洗いで洗濯していた。
 お日様の下でよく干した後、きっちりしわをのばしてアイロンをかけ、ちょうどよく入る大きさの紙袋に入れてずっとポケットの中にしまいこんでいたのだった。
 “あの、これどうもありがとう、ラズリ”
 そうお礼を言いながら、ちゃんと彼の顔を見て自分で手渡すんだと、何度も何度も頭の中でくりかえした。そしてしまいには、みんなが寝静まった後にベッドの上で一人予行練習までしていたこともあったのだ。
 だが、いざ校内でラズリの姿を見かけるたび、何故か声をかける勇気が奮えず、さっきのように全てタイミングを逃してばかり。
 早く返そう返そうと思いつつも、未だそれは成就せず、とうとう週をまたいでしまい、練習していたセリフの末尾に“遅くなって本当にごめんなさい”という一言を付け足さなくてはならない始末だったのだ。
 「…こら、ティーナ」
 ティーナが自分の不甲斐なさを責めるようにためいきをつくそばで、ぽんっとアガシがその頭を軽くこづいた。
 「よりによってラズリの前でよくもわいの気持ちを完全否定してくれたな。…ん?」
 「え、ええっと。そ、そういうつもりじゃあなかったんだけど…。だって、そんな」
 「まあ、ええで。そないなことはじめっから百も承知やからな、自分。しっかし、さすがにあれはあれでこたえたで。わいの心はおもきしブロークンハートや」
 いつものおふざけが入り混じった口調ではあったが、どことなしに声の調子に張りや勢いが欠けてたのは気のせいだろうか。
 「…でもな。わいはあきらめへんで。ティーナも、もちろんラズリのことも、な」
 ――は? 
 ラズリも、ってどういう…?
 彼が何を言わんとしているのか見当もつかず、ティーナはアガシに問いかけの意味をこめて首をかしげて見せるが、アガシにしては珍しくそれにはきちんととりあわなかった。 
 ただ相変わらず、何か腹に一物あるかのような、例の悪戯小僧の瞳で、ただにかにかとした笑みを唇の端に浮かべているだけだったのだ。
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「ねえ、どうしてラズリは竜を捕ったりしたのかしら?」
 カレンの唐突な発言に、ティーナ、セレの視線は一斉にアガシに集まった。まさに今、炙り肉に頬張ろうとしていたアガシは少女たちの視線に気づくと、きまり悪そうにフォークを置いた。
「わいにそんなこと聞かれてもわからへんて…何でも奴のこと知っとると思うたら間違いやで」
 そう言うアガシはいつになく渋い顔だ。再びフォークを手に取ったものの、もてあましたようにフォークは皿の上を彷徨っている。
「なーんだ残念。ラズリについて、せっかく色々聞けると思ったのに…」
 がっかりしたようにスープの芋を突くカレンに、アガシはからかうように言った。
「何なら、わいのことでも教えたろか?」
 取り澄ました笑顔ではなく、悪戯小僧のような笑顔をカレンに向ける。しかし、ラズリ以外は眼中にないと公言するカレンにとっては、どんなにアガシが魅力的であろうが関係ない。
「結構です!」
 素っ気ない返事を返すと、つんとそっぽを向いてしまう。
 しかしアガシは予想していたらしく、カレンの反応を見てくっくと肩を震わせている。二人の間に挟まれたティーナは気が気ではない。喉につかえそうなパンをどうにかスープで流し込むと、こっそりと息をついた。
 あれからというもの、なぜかアガシは頻繁にティーナの前に現れるようになっていた。最初は戸惑いがちだったカレン、そしてティーナと寮で同室のセレもニ、三日もしないうちに打ち解けたようだ。中でもカレンとうまが合うらしく、顔を合わせるたびに言い合いをしている。本人たちは面白がっているようだが、傍から見るとそのあまりに遠慮のないやり取りに肝を冷やすこともしばしある。
 ティーナたちがよく足を運ぶ食堂は、旧校舎内一番端と食堂は少々不便な場所にあるが、大きな窓からは季節ごとに色とりどりの草花が咲き乱れる庭園が見渡せることで生徒たちに人気があった。今までこちらの食堂に姿を現すことのなかったアガシがやってきたことで、前にも増して女生徒が増えたように思える。
「ねえ、ラズリや他の男の子たちとお昼一緒しなくてもいいの?」
 セレが尋ねるとアガシは「何言ってるねん」とフォークを回しながら答えた。
「メシくらい可愛いお嬢さん方と食うほうが楽しいに決まっとるわ。男同士がしょっちゅうベタベタ一緒にいたら気色悪いやろ、な?」
 すると側で聞いていたカレンは、さりげなく不敵な笑みを口の端に浮かべる。
「あなたたち仲が良さそうに見えるけど、それほどでもないのね」
 カレンの少々棘のある言葉にぴくりと反応する。
「……あのなあ」
 アガシは腕組みをすると、ちらりとカレンに視線を向ける。
「男は女と違って、胸の内ぃなんでもかんでも話したりせんのや。一から百までピーチクパーチク喋らはるお嬢さん方と一緒にされても困るわ」
「あーら、いつもピーチクパーチクしていてごめんなさいね」
「おーおー、ホンマのことゆうて悪かったなあ」
(またもう、アガシは……)
 どうしてわざとカレンを怒らせる風に言うのだろう。カレンがアガシの挑発に乗らないように祈るばかりだ。しかし、残念ながらティーナの祈りは届かなかったようだ。
「さっきから黙っていれば、いい加減にしてくれない?!」
 かつん、とトレイにスプーンを置いた。じろりと険しい目でアガシを睨み付ける。
「ほほーう、誰がいつどこで黙っていたって? おかしいなあ…さっきから散々ピチクパチクほざいとる五月蝿い鳥はどこにおるんやろなあ」
 アガシは額に手をかざすと、わざとらしく辺りをきょろきょろと見渡す仕草をする。そしてまじまじとカレンを眺めた後、今初めて見つけましたとでも言うように驚きの声を上げた。
「お!? なんや、ここにおったわ!」
「なんですってえ?」
 カレンは勢いよく椅子から立ち上がると、からからと笑うアガシに詰め寄った。
「もう今日という今日は許さないんだから!」
 ティーナは思わず身をすくめる。
(うわあ、また始まっちゃった……)
 救いを求めるように顔を上げると、丸テーブルを挟んでティーナの真向かいに座るセレは黙々と食事を続けていた。セレは言うには、この二人は「じゃれ合っているだけだ」だと言って基本的に気にしていない。ある意味セレの判断は正しいかもしれないが、こんなところで騒いでいるのを放っておくわけにはいかない。結局この中で二人を止めるのは自分しかいないことをティーナは知っていた。
「アガシ、やめようよ…ね?」
 ティーナが止めに入るがアガシが聞くわけがない。
「別に喧嘩しとるわけじゃないから安心しい」
 アガシはにこりと笑うと、ティーナの頭をポンポンと叩く。
(駄目だ……)
 どうやらアガシはカレンとの言葉の応酬を楽しんでいるようだ。黒い瞳が子供のように悪戯心いっぱいにきらきらと輝いている。意外と子供っぽい一面を発見してしまったのと同時に、言っても無駄だと悟ったティーナは今度はカレンに声を掛ける。
「ねえ、カレンってば落ち着いて」
 図書館でのこともあるので、これ以上目立つのはもう勘弁だった。ただえさえアガシの存在は目立つのだから。今度は食堂でアガシと痴話喧嘩だなんて囁かれるかもしれないと思うと、どんどん気持ちが重たくなる。けれどカレンはティーナに見向きもしない。
「いいからティーナは黙ってて!」
「でも、カレン…」
「もうっ、ティーナは余計なこと言わないで!!」
 周囲がざわりと騒がしくなった。五月蝿いと席を立つ者もいれば、野次馬となって遠巻きから冷やかす者まで出てくる始末だ。
「ちょいと待ちや。心配してくれとる友達にちょいとキツうないか?」
 カレンの勢いに押され、言葉を失ったティーナを庇うようにアガシが止めに入る。その途端、悪ふざけした冷やかしの声が上がる。
 もう誰が仲裁役なのかわからなくなりそうだ。こんなところで庇ってくれなくていいから、カレンをからかうのをやめて欲しいとティーナは切実に思う。
「ほんっとにあなたって八方美人ね。そうやって皆にいい顔していたら、いつか周りに誰もいなくなっちゃうんだからね!」
「ホンマ感情的なやっちゃなあ。他人様にええ顔するのがどこが悪いんや。言うてみい?」
 今度はアガシまで感情的になってしまったようだ。
「二人とも、もう終わりにしよう。ねえアガシも落ち着いて」
 さすがに傍観を決め込んでいたセレも心配そうに口を挟む。
「わいは充分冷静や。心配せんでええ」
「そうやってその時その時で誰にでもいい顔をしたら信用なんかなくしちゃうわよ! だからラズリだって本当はあなたのこと信用してないんじゃないの?」
「カレン!」
 セレとティーナが同時に制止の声を上げる。しかし頭に血が上ったカレンの耳には届かない。
「だからラズリだって肝心なことは、あなたに話さないのよ!」
 一瞬、アガシの笑顔が消えた。
「そ、か……」
 だがすぐに何事もなかったかのように破顔すると、額にこぼれた髪をかき上げた。
「……きっついなー。いやホンマ……いや、ホンマその通りかもしれんわ」
 しかし、その笑顔に苦々しいものが浮かんでいるは明らかだった。さすがのカレンも言い過ぎたと自覚したらしく、きまり悪そうに俯いている。
「あーあ。もう腹いっぱいになってしもうたわ」
 気の抜けた声で言うと、アガシはのっそりと椅子から立ち上がった。肌に感じていた周囲の視線が一斉に消え去る。
「アガシ…」
 ティーナは咄嗟に手を伸ばし、アガシの腕をつかんだ。
「スマンな」
 ティーナの言葉を遮るように言うと、やんわりとその手を振りほどく。
「残り片付けといてくれへん? 悪い」
 ティーナの髪をくしゃりとかき混ぜると、アガシはひらひらと手を振りながら食堂を後にした。
 しばらく食堂内に気まずい空気が流れていたが、しばらくもするといつも通りのざわめきが戻っていった。ただ、ティーナたちのテーブルだけは、まだ重たい沈黙が流れていた。
「ねえ……謝ったほうがいいんじゃないの?」
 勇気を振り絞ってティーナは言った。
「ティーナから何かを言い出すなんて珍しい」
 セレは一瞬驚いたような顔になるが、うんうんと納得したように頷いた。
「うん、謝るべきね。あの言い方は非道かった」
「だって…」
 カレンは頬を膨らますと、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
「……だって、あたし悪くないもの」
 そうは言っているが、カレンの表情には後悔の色がありありと浮かんでいる。まったく意地っ張りなカレンらしい。ティーナはカレンの顔を覗き込むように首を傾ける。
「カレン、あたしも一緒に行くからアガシに謝りに行こう…ね?」
「いや!」
 カレンは大袈裟なくらい大きく首を振る。
「絶対に嫌よ。だってアガシがあたしのことばっかり馬鹿にするからいけないのよ!」
「そうかもしれないけれど、やっぱりさっきのは言い過ぎだよ、カレン」
 セレはなだめるように言っても、カレンは頑なそうに口を引き結ぶ。
「ね、カレン」
 心配になってティーナは動かなくなってしまったカレンの肩にそっと手を添えた。
「だったらティーナが行けばいいじゃない!」
「え、え…?」
 ティーナが目をぱちくりしていると、カレンは肩に添えられて手を振り払う。
「いいじゃない、言い出しっぺはティーナなんだから。早く行ってよ!」
「あのねえ、あなたが行かなくちゃ意味がないでしょ?」
 セレがたしなめるが、カレンは駄々っ子のように「やだやだやだ」とくり返す。セレとティーナは無言のまま顔を見合わせる。
「……わかった」
 ティーナが椅子から立ち上がると、セレは慌てて引き止める。
「だってティーナ…」
「大丈夫だよ、セレ」
 カレンとの仲直りの切っ掛けを作ってくれたのはアガシだ。アガシがいなければ、こんな風にカレンと仲直りだって出来なかっただろう。些細なことで簡単に心が離れてしまうこともある。あのままでいたら、きっとカレンと仲直りする機会も作れず、ずっと後悔していただろう。
 余計なお世話かもしれないが、アガシとカレンにこんなことで仲違いして欲しくなかった。それに、珍しく沈んだ表情を見せたアガシのことも気になっていたのも事実だった。
「カレン、あとで仲直りしてね」
 カレンの返事を待たず、ティーナはくるりと辺りを見渡した。案の定、ティーナたちから慌てて視線を外した生徒に気づくが、敢えてそ知らぬ振りをする。
「頼んだよ、ティーナ」
 背後から追い掛けてくるセレの声にティーナは小さく手を振って応えると、そのまま食堂を後にした。


*   *   *   *   *

 追い掛けると言っても、アガシが行きそうなところなどティーナには見当もつかなかった。まだそれほど遠くまで行っていないだろうと手始めに図書館へ向かう。
 学院の図書館の蔵書は相当なもので王立図書館に匹敵するほどだと言われている。当然簡単に捜し回れる規模ではない。取り敢えず生徒たちがよく利用する閲覧室をぐるりと歩き回るがアガシの姿は見つからなかった。
 午後の授業がある教室に行ってみたらどうだろう? 早速行ってみようと思うが、アガシが午後の授業に何の講議を取っているかティーナは知らない。ポケットから小さな銀の懐中時計を取り出すと、時計の針が半周もしれば休み時間が終わってしまう。
(もう時間がない)
 誰かにアガシが何の授業を取っているか聞いてみようか?
 でも誰に聞けばいいだろう。女生徒のひとりを捕まえて尋ねてみるのもひとつの手だが、図書館の一件以来ティーナをこころよく思わない女生徒は多いと思うと、気軽に声を掛けるのも考えものだ。
 −−−ラズリ。
 ふとラズリの名前が思い浮かんだ。途端に胸の鼓動が早くなる。そうだ、彼ならアガシが行きそうなところを知っているかもしれない。しかしよく考えてみると彼を探すのもアガシを探すのと同じくらい困難だと気づく。
 あと生徒たちが好んで集まりそうな場所と言えば……ティーナは考える。
「裏庭、かなあ」
 ティーナは「裏庭」と密かに呼んでいるが、実際には旧校舎と新校舎をつなぐ中庭のことだ。無駄足に終わるかもしれないが、とにかく行ってみるしかない。人にぶつからないように注意しながら、足早に廊下を急ぐ。
 中庭に足を踏み入れると、明るい陽射しに思わず目を細める。ふんわりとした緑の芝生。空を覆う緑の葉は陽に透けてやわらかな新緑色に輝き、小さな花壇は季節の花々が生き生きと生い茂ってた。
 ここはティーナのお気に入りの場所のひとつでもあった。ここは王都の外れにある実家の裏庭と、ほんの少し似ているような気がするからだ。
 宮廷付きの薬師である父は自宅でもあらゆる種類の薬草を育てていた。十歳になるとこの裏庭の手入れはティーナに任された。水をやり過ぎて根腐れさせたり種を捲く時期を間違えて芽が生えなかったりとずいぶん失敗もしてきたが、お陰で薬草についてたくさんのことを学んだ。とは言えまだまだ父の足元にも及ばないが、学院に入ってから薬草学だけは授業についていけるのは助かっている。
 このまま芝生の上に座り込んでしまいたいところだが、そんな呑気に過ごす時間はない。
(アガシ、いるかな……)
 木陰で昼食を取る生徒や、読書に勤しむ生徒も少なくはない。邪魔にならないように中庭の奥へと進んで行くと、聞き覚えのある声を耳にした。
「申し訳ないけれど、君の気持ちに応えることはできない」
 低いがまだ少年くささを残した声、落ち着いた大人びた口調。
(ラズリ)
 ティーナの心臓が大きく跳ね上がった。きょろきょろと声の主を探す。ラズリの姿はすぐに見つかった。ティーナの後方にある大きな木の陰。そこから見え隠れしている金茶の髪の少年を見つけた。
(どうしてこんなところに?)
「どうして…どうしてなの?」
 すぐ側でか細い少女の声がした。ティーナは反射的にすぐ近くの木の陰に入り込む。
「どうして、答えてラズリ」
 少女の必死な声。この声にも聞き覚えがあった。鼻に掛かった甘い声。気になってこっそりと覗き見ると、まっすぐな栗色の髪の少女が今にも泣きそうな表情でラズリに詰め寄っていた。この少女も十位以内の成績を納めている常連のひとりだ。
(たしか……タリア)
 光の加減で金にも見える艶やかな栗色の長い髪。透けるように白い肌に長い睫毛に縁取られた琥珀色の瞳は歳には不相応な憂いすら感じる。小柄で華奢な肢体は彼女を一層儚げに見せ、男子生徒は当然のこと、同性のティーナでも思わず見蕩れてしまいそうだ。美少女というのはタリアのような少女のことを言うのだろうとしみじみ思う。しかし、そんなタリアを目の前にしても平然としていられるのは、さすがはラズリと言うべきか。木の幹にもたれかかった姿勢で、定まらない視線で空を眺めている。
「理由を教えて欲しいの、ただ応えられないと言われても……もしかして好きな人がいるの?」
 思わずどきっとした。どうやらとんでもない場面に居合わせてしまったらしい。ティーナはますますその場から動けなくなってしまう。
(ラズリの好きな人……)
 もしかしてそんな人がいるのだろうか? もし、いたとしたらどんな人なのだろう? ティーナは固唾を飲んでラズリの言葉を待ち構えた。
「……別に好きな人がいるとかいないとかではなくて、ただ僕には、非生産的なものに費やす時間がないだけだよ」
 淡々とした口調には感情の響きすら感じられない。ラズリのあまりに非情な答えにティーナは愕然とした。
「そんな……」
 タリアの傷ついた声が耳を打つ。
(そんな言い方って……酷い)
 いくらタリアが非の打ち所のない美少女だとしても、好きな相手に気持ちを伝えるためにどれだけの勇気が必要だったろう。それなのにラズリときたら、その気持ちをまるでくだらないもののように片付けてしまうなんて。
 いつの間にか小刻みに震えてる自分の指を、ぎゅっと握りしめる。あまりの緊張のために震えているのか、怒りのために震えているのか、自分でもわからなかった。
「僕には時間がないんだ。はっきり言わせてもらうと、君……いや、君だけじゃない。女性の相手をしている時間が惜しいんだ。だからこの学院内で色恋に興じたいようなら、他を当たって欲しい」
 そんな言葉を真正面から告げられて傷つかないわけがない。言葉を失ったタリアは、その場から逃れるように急に走り出してしまう。
(………そんな)
 タリアの乱れた足音を聞きながら、自分の心もひどく乱れていることに気がついた。どきどきと心臓の鼓動が早い。とてもじゃないけれどラズリに合わせる顔がない。早くラズリがこの場から立ち去ってくれることを祈りながら、ティーナはぎゅっと目を閉じる。
「君は、立ち聞きが趣味なのか?」
 ラズリの呆れた声がした。
(うそ……もしかして、ここにあたしがいるって、知ってたの?)
 混乱して言葉が出てこない。するとさくさくと芝生を踏む足音が近づいてきて、ティーナの近くで止まった。恐る恐る目を開くと、空色の瞳がティーナを冷ややかに見つめていた。
(セレスト・ブルー……)
 一瞬、そんな言葉が脳裏をよぎった。しかし、今はその言葉が何だったのかなどと、呑気に考えている場合ではない。
「たしか君は……ティーナ?」
 一応名前は憶えていてくれたらしい。そんなことで嬉しく思ってしまう自分は馬鹿みたいだ。ティーナは恥ずかしくなりながら小さく頷いた。
「人の趣味に兎や角言うつもりはないけれど、あまり感心できる趣味じゃないな」
「ごっ、ごめんなさい。あの、そんなつもりじゃなくて……あの」
 しどろもどろになってしまっているティーナにラズリはぴしゃりと言った。
「何か言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれないか?」
 ラズリの言い分はもっともだ。怖じ気づいてしまいそうな心を叱咤して、ティーナは腹から声を振絞る。
「……人を、探していて。あの、喧嘩しちゃって友達と。だから…ここにいないかなって。それで、あの……本当に、ごめんなさい」
「わかった、もういい」
 ラズリは手を上げてティーナの言葉を制した。
「ティーナ、君にひとつお願いがある」
「は、はい」
 ティーナは思わず姿勢を正す。
「この場で見聞きしたことを公言しないで欲しい」
「……はい」
 もちろん、そんなつもりは最初からない。堅苦しい物言いにつられて、ティーナも至極真面目に答える。
「…それから、これは忠告だと思って聞いて欲しい。ティーナ、君はもう少し自分の意見をしっかりと持つべきだと思う。それに感情を簡単にさらけ出し過ぎるのもどうかと思う」
 かあっと顔が熱くなる。きっと耳まで真っ赤に染まっていることだろう。
(そんな風に思われていたなんて)
 ラズリが指摘したことは自分でも十分自覚している。ティーナ自身、そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。それでも自分なりに引っ込み思案をなくそうと努力してきたつもりだった。つもりだけで……なかなか直せないのは、自分の努力が足りないからなのだろうか?
(恥ずかしい)
 今すぐラズリの前から消えてしまいたかった。
「すぐに赤くなったり青くなったり……君は人間信号機か?」
 以前同じようなことを言われた気がする。今はただ恥ずかしさと緊張で思い出せない。
「ほらまた……少しは反論しようとは思わないのか?」
 ラズリは苛立った声を上げる。
「……でも」
 瞼までもが熱くなるのを感じながら、ティーナは震える声で言った。
「たしかにラズリの言う通り……あたしもこんな、嫌で……どうしたら、直るんだろう…って」
 もしかしたら、少しずつ引っ込み思案が直ってきたように思っていた。さっきカレンやセレにちゃんと意見を言えた自分はどこに行ってしまったのだろう。また弱くて情けない自分に戻ってしまったような気がする。
 咽の奥から熱いものが込み上げてくる。だけど、泣いたりしたら、きっとまたラズリに呆れられてしまう。ティーナは歯を食いしばって嗚咽を堪えるが、代わりに涙がぽろりと零れ落ちてしまう。
「ご、ごめんなさい」
 慌ててラズリから顔を背けるが、きっと涙を見られたに違いない。
(もう……嫌だ)
 手のひらで瞼をぎゅっと押さえるが、涙は勝手に溢れてくる。早くラズリが立ち去ってくれるといい。すると、かさりと芝を踏む音がした。
「泣くな。泣いたって君の引っ込み思案が直るわけではないだろう」
 ラズリの厳しい声と共に、強引に手のひらに何かを握らされた。
「……これ、ラズリの?」
 それは洗いざらしのハンカチだった。使い古して色褪せたハンカチはラズリらしくなくて、何だか不思議な感じがする。
「使え」
 怒ったような口調でラズリは言った。恐れ多くて使うのが怖いが、ラズリが言うならありがたく好意に甘えたほうがいいだろう。
「ありがとう」
 涙声でティーナが礼をのべると、ラズリは怒ったように背中を向けた。
「……別に、礼を言われるほどのことはしていない」
「ううん…そんなことない。ありがとう」
「礼を言っている暇があったら、さっさと泣き止んでくれ」
 ラズリはそう言い残すと、振り向きもせずに中庭から立ち去った。ティーナはラズリの後ろ姿を見送りながら、急に泣き顔を見られたことが恥ずかしくなってきた。
(きっとラズリ、呆れているだろうな)
 でも、今日のラズリはちょっといつもと違う感じがした。普段の礼儀正しいラズリとは少し違う……ぶっきらぼうな口ぶりと、優しいのか冷たいのかわからない態度。どこか懐かしい、そんな気がした。
「あ…」
 ふと、何かを思い出しそうになる。どこか懐かしい感触がぼんやりと……でもそれが何なのか、記憶は霧に隠れてしまったかのように、どうしても思い出すことが出来なかった。
 「悪いけど…」
 ティーナとカレンを前にして、ラズリは重たいためいきをもらした。
 「そこ、のいてくれない? 通りたいんだけど」
 「え、えっと」
 「そうよね。ごめんなさい」
 ラズリにそう言われ、慌てて二人は彼に道を譲る。
 するとラズリは軽く頭を下げ、小声で「失礼」と二人の間を割って通り過ぎ、そのまま普段通りのすました表情でいつも自分が座る席を目指した。
 そんな彼の背中を見送り続けているのがどうにも耐えられなかったのか、まず最初に図書館を飛び出したのはカレンの方だった。
 そしてさほど間を置かず、ティーナもこっそりとその場から逃げるように身を引き上げる。
 自宅謹慎を解かれ、一週間ぶりに姿を見せたラズリの姿をこうしてずっと見ていたい気持ちはやまやまだったのだが、図書館内にいる他の生徒たちの、一斉に自分に向けられた好奇な視線にさらされることにはとてもじゃないけど耐えかねて。


** ** **



 「ラズリ・マーヴィ! やっと帰ってきたのかよ、この問題児」
 「おまえ、帰ってきたならさっさと顔見せろよなこのヤロー」
 「ずっと心配してたんだぜ」
 「やあ。トッドにテオ、それにカーツもいたのか」
 ラズリが席に腰掛けると、それを目当てとばかりにどやどやと数人の男子生徒が押しかけて群がった。
 「ベンジャミン、マシュウ、アーノルド…。みんな久しぶりだな。元気だったか」
 「おいおい、そりゃオレたちのセリフだろ? なあみんな」
 「そうだな。でもま、あいさつはそれくらいにしとけよマシュウ。ラズリにあのことを言わなくちゃならないだろ、あいつのさ」
 「そうとも。カーツの言うとおりさ。…どうする? ラズリ。今週の試験の首位はレガだったぜ?」
 「レガ? …ああ、あのビン底眼鏡の坊ちゃん刈りのガリ勉か。いつも僕の下で毎回二番の常連だろ。それで? 彼がなんだって」
 ラズリの頭の中で一人の男子生徒の顔が浮かんだ。
 試験の結果が廊下に張り出されるたびに我先にと順番を見に来ては、ラズリに向かってさんざ悪態をつきまくる彼。
 やれ、不正を働いて点を稼いでいるんじゃなかろうか、先生方に媚を売って点数を操作させているのではないかと疑い、さんざんいやな目に遭っていたのだった。
 「あいつ、性懲りもなくクソ生意気なこと抜かしやがってよお。しょせんおまえなんざ帰ってきたって、授業の遅れを取り戻すのにたぶん半泣きでヒイヒイ言っているのが関の山だろうってサ」
 「だから、来週もちょろいもんだって豪語してたぜ。どうするラズリ、ちょっくら校舎の裏に呼び出してオレたちでシメといてやろうか」
 「別に。そんな必要はないよ」
  ラズリは実に涼しい顔でマシュウやアーノルド、ベンジャミンたちが口々に寄せる報告内容を一蹴した。
 「ま、せいぜい束の間の勝利に存分に酔いしれるがいいさ。僕も今だけなら、心から彼に祝いの言葉を餞として送ってもかまやしないし」
 「そ、それじゃラズリ」
 目を輝かしてテオが身を乗り出すと、ラズリは余裕しゃくしゃくの笑みを唇に浮かべると、彼らの顔をざっと見渡した。
 「彼には悪いが来週の試験、首位はおれがいただくよ。家にいた分、たっぷり自習時間があったんでね。かなり先まで一人で勉強を進ませてもらっていたから、その復習の意味で今週の授業は全て受けるつもりだ」
 ひゅう。少年たちから口笛が飛ぶ。自信満々に言いきったラズリに、彼らは「それでこそラズリだ」と言わんばかりに彼の肩をばしばしと叩きだした。
 そしてさらに「絶対ヤツの鼻を明かしてやれよ」と彼に対して期待のまなざしを向けると、さらにラズリは唇の端をにっとつりあげて勝ち誇ったように断言するのだった。
 「…まあ、見てなよ。廊下にテストの結果が張り出されたら、地団駄踏んでくやしやがるのはレガの方だからさ」


**  **  **
 

 ティーナは図書館を出た後、当初まっすぐ寮の自室に帰ろうと思い立ったが、いつの間にか足の向きは人気のいない時計塔に続く階段を目指していた。
 女子寮のティーナの自室は三人部屋。同じ年頃の少女たちと過ごす日々の暮らしは、親の目を気にせずのびのびと好きなことができる反面、特に何を思うことなく一人静かに呆けていたい時にはどうしたってえらくかまびすしい。
 そんな折、ティーナがふと学校の中で見つけた自分だけの秘密の場所がここだったのだ。
 ティーナはいくつもの教室が居並ぶ廊下から道をそれ、ほとんど誰も訪れることがいない、ひっそりした空間の中に足を踏み入れると、階段の踊場付近までそっと昇りつめ、そこでゆっくりと腰を下ろしすのだった。
 「…なんでこんなことに、なっちゃったんだろ」
 階段に腰を下ろしたティーナは誰に聞かせることなく、ぽつりとつぶやく。ただの、独り言。
 けれど頭の中をわんわんとせわしなく行きかうのは、先ほどのカレンの剣幕や投げつけられた言葉、それにラズリの、自分に対する全く無関心といっていいほどのそっけない表情、そればかりで…。
 入学したての間もない頃、ある日の授業でティーナの隣りの席に座った男子生徒がいた。
 それが、ラズリと初めて顔を合わせた最初だったと、ティーナは今でもよく覚えている。季節が移り変わり、学年が上がっていっても、そのことだけは鮮烈に彼女の記憶の中に残っているのが何よりの証拠だった。
 その教師の授業を受けるのは、入学してからはじめてだった。にも関わらず、ティーナはなんと大事な教科書を持ってくるのを忘れてしまったのだ。
 やだ、どうしよう…。
 昨夜、ベッドに入る前に忘れないようにと、今日の授業で使うものをきっちり机の上にそろえておいたはず。
 なのに、同室の女の子たちと夜っぴておしゃべりに興じていたせいか少し寝過ごしてしまったのだ。
 いつまでも何をやってるのティーナ、遅刻しちゃうわよ。早くティーナ、早く。
 そうひっきりなしに急かされては、ろくに確かめもせず取るものをもとりあえず部屋から出てきてしまったのが災いしたのだろう。彼女のカバンの中にはかろうじて昨日の授業で使った教科書とノートと筆記用具があるだけだったのだ。
 そんなティーナの困った様子がいかにもあからさまだったので、隣の席の男子生徒は見かねたのだろうか。ラズリは何も言わず自分の教科書を彼女の方にすっとずらしてよこしたのだった。
 驚いたティーナはちらとラズリの方に視線を向ける。授業中の手前、声には出せなかったものの、「いいの?」とうかがうようなそぶりを示すと、ラズリは彼女に応えることなく、すました表情で前を向いたままだった。
 「では、次。ティーナ・アルトゥン」
 急に教師から自分の名前が呼ばれ、ティーナは慌てて椅子をがたんと引いて立ち上がった。
 教師はティーナに授業に関する事柄でいくつか質問をよこしたが、それら全てが彼女にとってはわからないことだらけだった。
 「あの…その…」
 「どうしましたか? 先ほど私が話したばかりのことについての確認ですよ? まさか授業を聞いてなかったのですか?」
 教師に叱責され、とたんティーナはかあっと頬を赤らめさせた。当てられてそれに答えられない恥ずかしさよりも、授業を生半可な気持ちで聞いていたことの方がよっぽど恥だと感じたようだ。
 すると、またしてもラズリから助け船が出された。ラズリはさらさらと解答をメモ書きして起立したティーナの手にそれを握らせてやるのだった。
 「…! ええ?」
 「いいから」
 相変わらず彼女の方を見ずにラズリが小声でそう促す。それが功を奏したのか、ティーナは手の中で丸められたメモをそっと開くと、下目づかいにちらちらと視線を落としながらたどたどしい声で答えを言っていった。
 「…よろしい。どれも正答です。ただし」
 教師はうなずぎながらもちらと上目遣いにティーナを目線を送った。
 「今度は助言なしで一人で答えるように。いいですね? ティーナ・アルトゥン」
 そう釘をさしながらも「よしとしましょう」と教師は彼女に着席を許した。
 ティーナはやっと安堵して席に着いたものの、その後も何故か上の空のままで気がつけばもう終業を告げる鐘が鳴り、生徒たちはがたがたと席を立って次の授業のために教室を移動していたところだった。
 「あ、あのぉ」
 ティーナは隣りにいた彼が教科書をしまって立ち上がったところにそう声をかけた。
 「さっきは…ありがとう、助けてくれて」
 おずおずとそう礼を言うが、彼はやはりあまり表情を変えずに「別に」とそっけなく言い放ち、そのままティーナの前から去っていくのだった。
 するとそれと入れ代わりに今度は女の子たちがわっとティーナの周りに集まってきた。
 「ねえねえ、あなたラズリと親しいの?」
 「え? ラズリ、って…?」
 「何よあなたの隣りに座っていたでしょ時間中」
 「ラズリ・マーヴィのことよ…! 今年の新入生の中ではダントツの超がつくほどの有名人だわ。知らないの? 入学試験、ほぼ満点で突破したっていうウワサの彼じゃなあい」
 「うそ…。ほぼ満点だなんて。それって、ありえな…」
 ティーナは女生徒たちの話を耳にし、驚きのあまり目を見開いてしまった。
 志願者が多い上に選抜基準の厳しい王立魔法学院の入学試験だ。毎年、不合格者が大量に出る上に、浪人者もかなりの割合で多いといわれる。それに実のところ学科試験に関してはティーナも水準ぎりぎりで、不本意ながらも多少の縁故、宮廷付き薬師たる父の名を持ち出して使わざるをえなかったほどだ。
 「うそじゃないわよお。過去にも指折り数えるくらいしかいなかったって」
 「あなたそれに、ラズリに答えを教えてもらっていたでしょ」
 一人の女生徒にそう指摘され、ティーナは先ほどの一件を思い出し、ついかっと頬を赤らめていくぶんうつむいた。
 「ずいぶんいい度胸ねえ。あなた知らなかったみたいだけど、ここじゃね、先生に指されて答えられなかった人も、その人に答えを教えることもいけないことなの。両方とも罰則行為に当たるのよ?」
 「そうよお。先生が見逃してくれたから助かったようなものだけど、あれをきっちり報告されたら一発で反省室行きよ。たぶん、そうね百行書きの罰くらいは受けるかしらね」
 「そのことをラズリが知らないはずがないのに…! なのに、なのによ、ラズリったら…!」
 「きゃー! もうあたしダメぇ。あのね、あたしね入学式の時からずっと気になっていたんだ、彼のこと」
 「ううん、わかるわあ。ほんっと、彼ステキよねえ。カッコいいわよねえ」
 「顔ヨシ、頭ヨシ、体ヨシの三拍子だもんね! ダントツの人気よ。上級生にもファンが多いって」
 少女たちはティーナのことなどもはや眼中になく、もっぱらラズリの話題で盛り上がっては黄色い声をあげだしはじめた。
 ラズリ・マーヴィ…か。
 ティーナは先ほどのことを思い出していた。無愛想なまでにそっけない態度。「ありがとう」と礼を告げても、顔色ひとつ変えなかった彼。
 だけど……。助けて、くれたんだあたしのことを。もしかしたら、自分も罰を受けるかもしれないってこと、知っていたのに。
 その日以来、ティーナは気がつくとラズリの姿を見分けて目で追ってしまう自分に気がついた。
 どんな時にいても、大勢の男の子たちの姿の中に混じっていても、ラズリの姿だけは自然に視界に入ってくる。
 まるでそこにだけスポットライトが当たっているかのように、ティーナにはラズリが光り輝く存在に見えるのだった。
 でも彼とは、あの一件がきっかでじょじょに打ち解けて親しくなるどころか、同級生として朝夕のあいさつすら頻繁に交わし合うことなどほとんどなく、相変わらず互いに遠い存在のままだった。
 それでも、ティーナはラズリと同じ教室で授業を受けたり、彼が自習をしている図書館にいるだけで、何故か嬉しさを感じたり、自分がちょっぴり幸せな気分にひたっていることを、無上の喜びに感じて仕方がなかった。
 廊下に張り出される週の定期小試験の結果が張り出される度に、下から数えた方が早い自分の名前を探すより、まずラズリの名前が一番最初に書かれていることを確かめ、それを見て安堵することもちょくちょくで。
 その気持ちが、もしかしたら他の男子生徒に対する気持ちと異なるのではないかと思うようになったのは、誰でもない彼女に、親友とも呼べるほど仲の良い一の友、カレンに「ラズリっていいと思わない?」とこっそりと耳打ちされてた時だったのは皮肉としかいいようがないだろう。
 でも…。だけど本当にあたし、ラズリと会ったのはあの時がはじめてだったのだろうか。
 ティーナはラズリの、空の色をそのまま宿したような青い瞳の持ち主を、かつてどこかで見たような気がしてならなかった。
 それならいったい、いつ、どこで?
 揺るぎようのない真実とばかりに思い込んでいたティーナの記憶に、かすかにゆらぎが生じた結果、芽生えたささいな疑念。
 それは前の学期間の長期休暇中、ティーナが自宅に戻った際、父から現王ジェラルド陛下の身体のご様子が最近とみにかんばしくないこと、そのために皇太子であらせられるラズウェルト殿下の王位継承が、十八才の成人を前に急がれるかもしれない、ということが国政に関わる者たちで形成される元老院内の議題として何度も持ち上がっているということを聞いた直後だった。
 その時、何故か急にティーナはラズリのことが思い出されたのだった。
 …あれ? ちょっとラズリって…ずっと前にも会ったことがあったんじゃない? それに誰かに似てなくない?
 そう思ったのも束の間、だからといってティーナはラズリにいつ会ったことがあるのか、また似ているというのは誰を引き合いにしてそう思ったのか、自分でも言い当てることはできなかった。
 そしてどうして、父が王や皇太子殿下の名前を出してきた際に、彼のことがふっと思い出されたのも。
 ティーナはそれ以後、学院内でラズリの姿を見かけるたびにいっしょうけんめいそのことを思い出そうとしているのだが、それらは全てことごとく徒労に終わっていたのだった。
 だめね、やっぱり。あたしすぐ忘れっぽい方だからなあ。小さかった時のこともみんなぼんやりだもんね。こんなんだから、薬草学以外はからっきし、なのかも。特に魔法史みたいな学科の詰め込み暗記ができない性質だし…。
 そう思い、あきらめを入り混じらせつつも、ティーナはなおも小首をかしげながら、懸命に記憶の糸をたどろうとするのだった。 
 

** ** **



かちゃり。ラズリが寮の自室のドアを開けると、その視線の先に制服姿の少年の姿を目にとめた。彼はベッドの上で仰向けに寝転がって何することもなく、ただのんべんだらりと休んでいたのだった。
 「よぉ、ラズリ。やっと帰ってきよったんか。まったく、何やらかしてくれるんや。ホンマ心配させやがっておまえは」
 彼はラズリが部屋に入ってくるやいなや、表情をぱっと輝かせてがばりと跳ね起きた。
 後ろでひとつにたばねられるほどの、ばさりとした長めの黒髪に褐色の肌。左耳にだけつけた色とりどりのイヤーカフス。
 シャツのボタンは上から三番目くらいまで開け、ゆるやかに結んだタイがかろうじてひっかかっている、という具合にかなり着崩したラフなスタイル。
 それはしゃっきりと折り目正しくしわをのばし、シャツのボタンを上から下まで全て留め、きっちりとタイを襟元に結んでいるラズリとはまるで好対照なほどだった。
 彼がラズリの帰寮を喜び歓迎する一方、しかし当の本人はそれには応えず、ひそかに眉根を寄せてためいき混じりに彼を軽くたしなめる。
 「…アガシ。そこ、僕のベッドなんだけど?」
 「お、そうやったか。わりぃわりぃ。かんにんな。おまえがおらんと、なんかどっちかわからんよってつい、な」
 「…ホントかよ」
 ラズリは彼のいいかげんな言い訳にいささか疑いを持ったが、それもいつものこととあきらめてさっさと受け流し、そのまま後ろ手でぱたりとドアを閉め、すたすたと室内に進み入った。
 「ん? 何か言ったか?」
 「いーや、何にも。それよかアガシ、僕のベッド、ちゃんとシーツをのばして直しておいてくれよ。今日からまたこの部屋の住人だ。よろしくな」
 「おう。…とと。それよかラズリ、聞いたでぇ」
 アガシ――アガシ・アズラット・ハーディーンは何やら意味深なにやにや笑いを浮かべながら、ラズリのそばにつつっと寄っていった。
 西の砂漠の民の部族出身であるアガシの口調は、主に都市部で使用される公用語とやや異なるお国訛りがあった。
 「ったく、おまえも隅に置けないやっちゃな。普段、女の子になんか興味ありましぇーんって顔で取りすましているヤツに限って、すぅぐ色恋沙汰に巻き込まれて渦中の人になるんだからよ」
 「何のことだ」
 無愛想な口ぶりで自分の机の上に図書館から借りた本や教科書の類をばさりと置く。
 するとアガシはラズリの机にひょいと腰掛けるとその中の一冊を無造作に取り上げながら、手持ち無沙汰よろしくぱらぱらとページをめくっていった。
 「またまたぁ。とぼけやがってこぉの色男ぉ。さっき図書館でちょっとした見ものやった、ちゅうウワサで既に寮内がもちきりやでぇ。あーあ、当の現場で見たかったなそのシュラバ場面。さぞかしおもろかったやろ」
 「…ああ、あれか。別に大したことじゃないよ。むしろこっちの方が被害者だな。迷惑極まりない」
 「うわ、ひでぇー! なんやその淡白さ! あんまりにもかわいそうやん、彼女たち。おまえ、それじゃファン激減するでぇ」
 「ああ、それこそ願ったり叶ったりだね。かえって周囲が静かになっていいよ。これ以上うるさくされたらかなわないからね。第一、僕が頼んで女の子たちにキャーキャー騒いでもらいたいわけじゃない。僕の勉強のジャマになるものはこれっぽっちも歓迎したくないな」
 「あいかーらず堅物やなあ。そんなんやから女の子の友達なんてだーれもおらんのや。さみしーやっちゃなあ」
 「ほっとけよ、人のことは。それを言うならおまえこそどうなんだ」
 「あん…? わいか? わいにはいつでも誠実第一や。女の子にはめっちゃやさしー紳士やで。せやからうちのクラスはもとより、学院内にゃぎょーさん仲良しの子がおるやろ」
 目線を宙にさまよわせながら、ひのふのみぃと指折り数えるアガシ。彼の頭の中には数ある女の子たちの顔が浮かんでいるのに違いない。
 嬉々とした表情を浮かべているアガシに向かって、ラズリは冷たくぴしゃりとたきつけた。
 「おまえのはただの八方美人なだけだろ」
 「お、おま…! な、なんだよ…! わいがいつ何をしたって言うんじゃい」
 「伝説の男だからな、おまえは。何せうちの学院の生徒の中では史上一の女タラシという評判の異名まで持つ」
 「おいおい、ラズリ。聞き捨てならねーなそれ。わいはいつだって本気やったで」
 「はんっ。忘れたとは言わせないぞ張本人のくせして。だいたい入学早々、ほとんど顔も知らない同級生はおろか学年を超えて女生徒に声かけて気を引きまくって、三股も四股も、五股どころか六股した挙句、独身の美人教師まで抱きこんで、果てはけっきょく面倒になって全部ご破算にしちまったら一人も残らなかったじゃないか。今のおまえに群がる取り巻き連中は、その過去をみんな知っているから必要以上に近づいたりしない。手ひどい火傷を負いたくないからな。だから、ただ大勢いる友達の一人としかお前を見やしない。おまえだってそのことをわかってるんだろう。そうじゃないのか?」
 「…人の古傷に塩をぬりこみやがってコノヤロー」
 アガシは件の事件についてこれ以上ラズリをつっつくと、かえっていらぬ反撃がラズリから自分によこされることに閉口し、即座に話題を変えることを思いついた。
 「んで? いったい一週間も家で何してはったんやおまえ。確か王都だったな、おまえの家があるの。みんな大事なく変わりなかったか?」
 そもそも話を振ってきたアガシ本人によって、今までの会話の流れが全てうやむやにさせられたことに気付いたラズリは、半ばあっけにとられたが、まあそれも彼のことだし、と妙に納得してそのまま黙っていることにした。
 粘着質よろしく、ねちねちと話を後々まで長引かせず、きっぱりと一切を絶ち、手を引くさまは、女の子たちとのつきあいをいっぺんに断ったその一連の顛末にもそっくりだった。
 それは多分に彼の基本的な性格にもよるのだろう。しかもその得な性分のおかげで、彼は別れた彼女たちの一人からも、恨まれたりあとくされを残されたりなどはいっぺんもなかったのである。
 「別に。みんな変わりなく息災だったよ。父さんも母さんも姉さんも。上の姉さんは外国に嫁いでいるからどうなのか知らないけど」
 「そうか。ならよかったな。ほら、おまえ学期が変わるごとの長期休みも全く帰らねーでいつも寮に居残り組だろ? ほなら袋さんや親父さん喜んだやろ、謹慎処分とはいえ、久しぶりに帰宅したんだもんな」
 「…喜ぶどころか」
 くっと咽の奥を鳴らすようにラズリは苦みばしった笑いをこみあげさせながら吐き捨てるように言い放つ。
 「かえって大目玉をくらったよ。謹慎処分だなんて、まったく我が家の恥だってね。挙句の果てには親父の許可なく部屋から出てくるなって言われたし。食事もみんなと一緒に取らなくてもいいからって毎食運ばれてね。ほぼ軟禁状態もいいところだった」
 「お…。おいおい、マジかよそれ」
 淡々と告げるラズリの帰宅後の様子にアガシは驚きのあまり目を見張りながら、持っていた本をぱたりと閉じて机上に戻した。
 「いや、ったく、ひでえ話やなあ。まあ、確かに帰宅理由は威張れたもんじゃねーけど、本来なら褒められてしかるべきだぜ?」
 そう言いつつ、アガシはやけに同情をこめたまなざしを浮かべるとラズリの肩をぽんぽんと軽く叩いて少しだけ声をひそめた。
 「…未だかつてどんな名だたる魔法使いでもついぞ成し得なかった二頭の飛竜の同時捕獲に成功したんやでおまえは。まだ学院の生徒の身分でありながら、や。せやから、処分の内容はともかくおまえもよくやったとねぎらわれこそすれ、いくらなんでもそりゃねーだろって気はするが…」
 「仕方ないさ。何せ不肖の息子だからね、自分は」
 ラズリは自分に寄りかかり気味になって肩に置かれたアガシの手を邪魔くさそうに軽くはらうと、やや自嘲めいた口ぶりで先を続ける。
 「そもそも家族中の反対を押し切ってこの学院に来たこと自体が責められる要因なんだ。そんな人たちにことさら申し開きしたとて何になる? こっぴどいお叱りが通り過ぎるのをただ黙って耐えて、時間が過ぎ去るのをひたすら待つのが賢明ってもんだろ。争いを長引かせても無駄に体力を消耗するだけだからね。放っておかれるならそれはそれでいいさ。それならば一人で勉強でもしていた方が、よっぽど有意義な時間の使い方だ」
 「…はー」
 アガシは深くためいきをついた。ためこんでいた自身の思いを吐き捨てるかのようにずらずらと並べ立てるラズリにこれ以上自分は何をかいわんや、と思いながら。
 「はん、つくづくおまえにゃ同情すらぁ」
 「それはこっちの台詞だよ。アガシ、君だってそうじゃないか」
 「んーん、わいか? まあ、んなこた気にせんどき」
 アガシはそう言い、にっと唇をつりあげさせた。
 しかしラズリは彼の言うことを受け流さず、まるで自分のことのように躍起になって言い募った。
 「歴代の偉大なる魔法使いを世に輩出した経歴のある君の部族からは、長子の身分じゃないとこの学校の門をくぐれないんだろう? それを末弟である君が、家族の大反対を押し切って、授業旅免除の特待生扱いで入学したって言うじゃないか。本当によくがんばっているよな」
 「あっはっは。そないなことでいちいちくそ悩んでおったら、一人前の魔法使いになんぞなれっこないで。それにどーせしゃかりきで勉強したって、試験じゃいつもおまえにゃ負けっぱなしや。万年二位のレガにもな。ほらな、特待生っちゅーても大したこたないやろ?」
 「それだって常に五番以内はキープだ。大したもんだよ。絶対十番まで落ちたことがないなんてある意味すごすぎるくらいだ。他のやつらは先週よくても今週はだめ、次週はさらに落ちて来週はもっとだめかもしれない、そんな連中ばっかりだろう? レガだってああ見えて、時々、十番より下をいったりきたりすることもあるじゃないか」
 「はは、浮き沈み激しいのが常に人の世、ちゅうわけか。まあ、わいの場合は五番から下に転げ落ちたら、そりゃえらいことになるさかいな。それこそ死活問題や。成績不良で特待生の資格剥奪、挙句の果てには放校処分で強制送還やで? 必死になるのも当たり前やな。…それでなくても素行不良だの、制服着用規定違反だのとオおエライ先生方からいちいちい目ぇつけられとるるのに、成績落ちたら即処分決定や」
 「それでも…いいじゃないか。君はこの学校を卒業したら、大手を振って魔法使いとしての道を進むことができる。でも僕は…違う。ここでどんなに優秀な成績を修めたとて、いずれ十八になれば家督を継ぐしか、将来はないんだ。そういう約束を父や母と交わしたからこそ、なんとか入学を許してもらったんだけども…」
 ラズリはアガシから故意に視線を外すと、やるせない重いためいきをつくとともに声のトーンを一段低くしてそうつぶやいた。
 そして、ふいに思い出す。自宅謹慎を言い渡されて、いやいやながらも王都にある我が家であるところの――セルリアン宮殿に戻ったその日の午後のことを。
 そう、ラズリ・マーヴィとは学院の生徒としての仮の姿。彼の本名はラズウェルト・セイルファーディム。この東大陸きっての長い歴史と繁栄を誇る大国であり、天上の天という意味合い持つセレスト・セレスティアン王国の日嗣の皇子、正真正銘の皇太子なのだった。
 

 ** ** **

 ラズリは緊張で胸が高鳴るのを感じていた。
 空を仰ぐと眩しいくらいの青の中に、くるくると円を描く鳥の姿が見える。
 ――いや、あれは鳥ではない。
 あまりにも空高く小さく見えてしまうが、実際には人の身体の何十倍もの大きさがある。
 ラズリは乾いた唇を舌で湿らせると、低い声で綿密に組み上げられた呪文の詠唱を始める。
(何としても、捕らえてやる……!)
 あれは飛竜。
 空にきらめく姿をラズリは凝視する。つがいの飛竜が真昼の強い陽射しの中で戯れていた。白銀色をした飛竜と黒鉄色の飛竜。ラズリの狙いはあの白銀の方だ。堅い鱗に光が反射して輝く姿は、実に美しい。
 負けるものか。ラズリはいっそう気を引き締める。
 呪文を唱えるラズリの声は、魔法を知らない者には、まるで異国の古い唄を口ずさんでいるかのように聞こえるだろう。だが呪文には強い力が宿る。本来どんな言葉にも力はある。それはあまりにも小さく、常人で気づく者はほとんどいないだけの話だ。
 唱えるたびに、体力が削り取られていくのがわかる。失敗を恐れるあまり、強い力を持つ言葉ばかり選んだせいだろう。
(目眩がする……)
 ラズリは思わず守り石をはめ込んだペンダントを握りしめる。無色透明の守り石は、じんわりと熱かった。
(負けるか!)
 呪文をつむぐ唇がさらに速度を増した途端、足元から風が巻き上がる。紺色のマントが風に舞い、頭部を覆っていたフードがめくれ、金茶の短い髪が熱い風になぶられる。
 照りつける陽射しがラズリの髪を、頬を焼く。灼熱の太陽にさらされ、マント自体も焦げそうに熱くなっていた。竜の住処でもあるこの荒れ野には、陽射しを遮るものなどひとつもない。背の低い潅木と干涸びた大地がただひたすら続くだけ。額から幾筋もの汗が流れるが、拭っている余裕など今のラズリにはない。
(焦るな、落ち着け)
 もう少しで呪文が完成する。
 あと少し、あと……これで終わる。
 最後の言葉を一字一句、正確に唇からつむぎ出す。
(成功だ、これで)
 ラズリは天に向かって、鋭く叫んだ。
「来い…!」
 飛竜の旋回が止まった。しかしそれは、瞬きをするほどの一瞬の出来事。飛竜は大きく方向を変えると急に速度を上げ、空いっぱいに大きな弧を描き始める。さらに上空へ舞い上がり、ふたつの影はさらに小さくなっていく。
 ここに来てくれと、ラズリは祈るような気持ちで飛竜の行方を追う。雲ひとつない空にかろうじて見える小さな影。それを見失わないように、必死に目で追い掛け続ける。
 呪文は完璧なはずだ。それでも駄目だということは、まだ力が足りないということか。
(また出直しか)
 諦めかけたその直後、白銀の飛竜の軌道が変わった。 
 円を描くように飛んでいたが、突然予想を裏切って直線の軌道を取り始める。まるで空に描かれた弓に弾かれた光の矢のように、飛竜は地表を目掛けて降下し始める。
(やった!)
 歓喜のあまり叫んでしまいそうになる。飛竜はラズリの声に応えた。だがここで終わりではない。ラズリは次の呪文の詠唱に掛かろうと空を睨む。
 ――が、思わず己の目を疑った。
 ラズリが呼び掛けたのは白銀の飛竜。なのに向かってくるのは二頭の飛竜。計算外だ。つがいを選んだのが間違いだったのかもしれない。黒鉄の飛竜は、まるで白銀の飛竜につき従うかのようについてくる。
(不味い……!)
 焦りが生じる。
 竜を捕縛するには相当な魔力と精神力を必要とする。竜一頭ならどうにか捕縛する自信があった。しかし二頭いっぺんともなると……正直なところわからない。
 いくらラズリが学院でも抜きん出た生徒だとしても、所詮は見習いとも呼べない学生の身。いくら魔力を持っていたとしても、それを使いこなすには机上で学んだことだけでは足りなかった。
 ――だが、諦めるわけにはいかない。
 ぎりっと音がするほど強く歯を食いしばる。呪文が二頭いっぺんになんて利くかなんてわからない。でもやらなければ死が待つだけだ。術をしくじって竜に食われた魔法使いは数知れない。しかしまだ一人前になる前に死ぬなどと、末代まで恥をさらす気はラズリにはない。
 大きく息を吸い込み目を閉じる。記憶をまさぐり、準備した捕縛の呪文に重ねる言葉を弾き出す。言葉を重ねることによって、本来の呪文をより強固にするしか二頭の飛竜を捕らえる方法が浮かばなかった。
 覚悟を決めて呪文の詠唱を始める。最初はささやくように――次第に辺りに響き渡るように唱え続ける。
 燃えるように身体が熱い。ラズリは崩れ落ちそうな膝を叱咤し、すがるように首に掛かった守り石を握り締める。
 両の足は立っているのもやっとだ。咽は貼り付きそうに乾き切って、声はひび割れていたが途中でやめるわけにはいかない。全身を打ち据えるような荒れ狂った風がラズリを襲い、マントが千切れそうに乱暴にはためく。身体まで風で吹き飛びそうだ。
(どうすればいい?)
 飛竜はますます速度を増して降下してくる。大きな翼はさらに大きくラズリに迫る。風を切るうなりが耳に届く――近い!

 ――頼む、おれの声を聞いてくれ…………!!

 堪らず叫んでいたかもしれない。ラズリは目を見開いた。その青玉を思わせる双眸で空を鋭く睨みつける。
 白銀の鱗は乳白色に輝く真珠、黒鉄の鱗は鍛え上げられた剣のようだ。二頭の飛竜を目の当たりにし、ラズリは恐ろしさを忘れて見愡れていた。
 もう呪文は間に合わない。だが不思議と恐怖はなかった。そしてラズリは初めて知った。二頭の飛竜の瞳はラズリと同じ、いやそれ以上に深く澄んだ青。澄み渡った深い空の色をしていることを。
 きれいだ。
 ラズリはただ、そう思った。


 *     *     *     *


 白い飛竜と黒い飛竜の噂を、学院で知らない者はすでにいなかった。
 学院側では内密にしているらしいが「人の口には戸は立てられぬ」とはよく言ったもので、二頭の飛竜が学院の生徒の手によって捕らえられた話は、あっと言う間に広まった。
 飛竜を捕らえるのは一人前の魔法使いにも難しい。しかも一度に二頭なんて前代未聞。学院始まって以来の珍事と言えるだろう。
『ラズリ、謹慎処分らしいよ。寮に置いておくわけに行かないから帰省させられたみたい』
『ふうん、そうなんだ』
『でも来週には戻ってくるみたい。寮の食事当番が言ってたもの。「来週からいつもどおりの数で」って発注しているの』
 図書館でお喋りをしては周囲の迷惑になってしまう。そう思って始めた筆談は、いつの間にか他愛のないお喋りになっていた。試験勉強をしに来たはずなのに、カレンと一緒だといつもこんな調子になっていしまう。
『さすがカレン。ラズリのことならおまかせね』
『まあね』
 すかさずそう書き込むと、カレンはにこりと笑った。
(自宅謹慎かあ……)
 道理で姿が見えないはずだ。確かにラズリは高位の魔法使いにも難しいことを成し遂げた。しかし所詮、未熟な学院生の身。竜に係わることは一切禁止されているはず。
 今回学院側がこの件を公表しないのは、たかが生徒にこんなことをされては、魔法使いの面子にかかわるからなのだろうか。
『それにしてもティーナがラズリのこと気にしてるなんて意外』
『そうかな』
『だって、あたしが今までラズリのこと話しても、あんまり興味なさそうにしてたじゃない』
『そう?』
 興味なさそうに見えるのは、そう見えるように努めているからだ。
 美形とは言いがたいが、それなりに整った顔立ちに金茶色の髪と空色の瞳。成績も入学以来首位を保ち、どこか人を寄せつけようとしない雰囲気が少女たちの心を引きつけているのだろう。
 ラズリのことを気に掛ける女の子は多いが、ほとんどは所詮かなわぬ相手だと遠くから見ていることで満足している。実を言うとティーナもその中のひとりだとは、いまだにカレンにも内緒にしていた。
『だってティーナが男の子のこと気にするなんて、今までなかったじゃない?』
『あれだけ話題になっているのに、気にならないのも不思議だと思うけど』
 今、視線を上げたら鋭いカレンに見抜かれそうで顔を上げることが出来ない。
(ラズリのことなんか話しに出さなきゃよかったな)
 どうにかして話題を変えられないかと考えているうちに、カレンが難しい顔をしてノートにこう記した。
『好きなんでしょう?』
「え」
 思わず声に出してしまう。慌てて口を押さえるものの、ティーナの動揺をカレンが見逃すはずがない。
「ティーナ!」
 がたんと大きな音を立てて、カレンは立ち上がった。一斉に周囲の注目が集まる。
「ちょ、ちょっとカレンってば、声が大きい!」
 カレンの新緑色の瞳が「抜け駆けなんて許せない」と言わんばかりにティーナを問い詰める。周囲の視線とカレンの視線が刺さる。
 今、この場から消えてしまえたらどんなにいいだろう。こんな時、魔法が上手な人がうらやましくなる。
「ティーナ、白状しなさい」
 カレンが怖い。勝手に憧れるもの許されないなんてあんまりだ。だけど今のカレンに何を言っても無駄だ。とにかく、しらを切るしかない。
『違うってば』
 ティーナはノートの一面に大きく書くと、カレンの目の前に突き出した。
「うそ」
『違う』
 もう一度ノートを突き出す。
「じゃあ、どうして顔が真っ赤なのよ!」
(そんなこと知らないよお)
 頬に触れると、言われた通り熱くなっている。わかりやすい自分の体質が恨めしい。
「何とか言いなさい、ティーナ!」
 カレンの真直ぐで熱くなりやすい性格はよくわかっていたから、ラズリへの思いを黙っていたのは正解だった。でも、ここまで面倒なことになろうとは思わなかったけれど。
(ああ、もうどうしよう……)
 周りの生徒たちは呆れ果ててふたりの様子を遠巻きにしている。ことを荒立てるのは主義じゃないが、ティーナもここまで言われて黙っていられるほど大人しくはない。
「もういい加減にしてってば」
 仕方がないのでティーナも立ち上がった。
「そうよ、カレンの言う通りだよ。だからって、どうしてそんな風に責められなきゃいけないの?」
 恥ずかしさと腹立だしさで泣きたくなってきた。咽の奥がじんと熱くなる。
 カレンはティーナが言い返してくると思っていなかったのだろう。驚きの表情でティーナをまじまじと見つめている。
「……うそ」
 呆然とカレンは呟いた。
「うそじゃないってば」
 ティーナが反論すると、そうじゃないとでも言うように首を振った。
「……ラズリ」
「え?」
 カレンの視線はティーナではなく、ティーナの背後に向けられていた。ティーナはうっすらとにじんだ涙を慌てて拭うと、恐る恐る振り返る。
「うそ」
 思わずカレンと同じ台詞を口にしてしまう。
 分厚い本を手に呆気に取られた様子で立ち尽くしているのは、空色の瞳と金茶の髪をした少年だった。
(謹慎中じゃなかったの?)
 ティーナは驚きと羞恥で、頬に血が昇っていくのを自覚した。
 ふたりの目の前に、まさに話の中心になっていたラズリその人が現われたのだから。
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