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 ※こっちも本文は続きに入れています。

  別にそんなに続きに入れるようなキワドイ(笑)内容はないのですが、その1に倣っております。

 途中からの文が先に見えてしまうのも変だと思いましたので(^^ゞ

 それではどうぞお楽しみくださいませ~♪

 自宅謹慎処分の次は反省室行き…か。
 北の館の最上階、四階に設けられた反省室のベッドの上。ラズリは何をすることもなく寝転がって足を組み、ぼんやりしと薄汚れた天井を眺めながら、「まったく、ついてないな」とでも言いたげにため息を絞り出した。
 こんなことが知れたら、また母君がヒステリックに騒ぎそうだな…。
 もちろん、父上も…。そうだな、きっと「おまえは学校で一体何を勉強しているのか」と、重たいためいきとともにくどくどと説教がはじまりそうだ。
 それから…マイカ姉。きっとこの間の件まで蒸し返し出して、さらに輪をかけてぎゃんぎゃん声を荒げて責め立てるだろうな。
 そしてみんな、口をそろえて言うに決まってる。
 ――将来、国を背負って立つ身に、魔法なんか習ったって何になる、と。
 ああ、そうさ。わかってる、わかってるさ。現にさっきだって、魔法のマの字だってアガシとのいさかいに出てきやしなかった。かっと頭に血が昇った者同士、その拳に物言わせて殴りあっただけだったもんな。
 『とことん、ガキやねんな…』
 アガシが吐き捨てた数々の罵り言葉を思い出してラズリは腹立だしげに「ええい、くそっ」っと声を立て、大きく舌打ちを響かせた。
 ったく、人をさんざん小ばかにして、どれだけ自分が大人だっていうんだ、アガシの奴。
 たかだか女性経験が豊富だからって、それがなんだっていうんだ。それが大人の証だと主張して威張る気なら、通りすがりに目につく女なら誰だっていい、自身の本能の赴くまま襲いかかりゃいいのかよ。
 幼児だろうが婆さんだろうが、片端から自分の持ち物で穴開けまくりゃ、それはけして犯罪じゃない、自身のステイタスがうなぎのぼりになるって寸法か。それじゃ千人斬りすりゃ誰でも英雄かあ? そういうおまえの考えの方が幼稚じゃねーかよ、バーカ。
 そんな具合にさんざアガシに対して悪態をついた後、ラズリの脳裏にふっと浮かぶのは、ゆるく波打つ長い黒髪の同級生の少女の姿だった。
 ふ…ん。ティーナ、ね。
 最盛期には五股も六股も平気の平左、痴話喧嘩も何でもござれという学院きっての女タラシぶりを発揮し、一時代の伝説を作りまくったというあのアガシが、今は彼女一筋と豪語してはばからない。
 それだけの魅力が、果たしてあの子のどこにあるのだろうか。
 ラズリには何度考えてもそれがどうしてもわからなかったのだ。
 何せティーナときたら、自分の目の前に現れるたびにやたらと顔を赤らめたり、急に驚くような大きな声を出したり、慌てふためいてやけに必死に言い募ってみたり。
 そして…ひどく感きわまって泣いたり、泣いたり、泣いたり――。
 そういえばあいつの笑った顔ってどんなんだっけかな。
 アガシがやたら「かわいい」とほめちぎってはいるけど、いつ見ても泣いている顔しかわからないから、ついぞそんな風には感じたことがなかったが…。
 「ティーナ・アルトゥン…か」
 思わず彼女の名前を声に出してつぶやいてしまい、ラズリはそんな自分に驚き、ばっと跳ね上がるように身を起こした。
 ちょっと待てよ、おいおい。なんでおれがあいつのことなんか考えてこんなにうろたえたりするんだ?
 たかが落ちこぼれの劣等生のことなんか考えたって、自分にとっては何の役にも立たないっていうのに。
 『…ティーナの良いところなんて、お前は知らんでええ。わいだけが知っとればええわ』
 …ああ、そうかよ。うんうん、そうとも、そうだよな。べーつにおれが彼女のことを、テメェ以上に知る必要なんてありゃしないものな。
 またしてもアガシのセリフを思い出し、ラズリは再び一人でかっかと怒りを露にしかけた。
 と、その直後。
 すらり――。
 突如として、ラズリは自身の目の前に鋭くとがった剣の刃先がつきつけられたことに気づいた。
 何の前触れもなくあまりにも急変した身の上の出来事に、ラズリは喉の奥でひっと声を飲み込んで、そのままの姿勢で目線だけを動かし、剣の持ち主が誰かを確かめるべく努めた。
 「――ラズリ…。ラズウェルト・セイルファーディム。オマエヲ、殺ス」
 単調で全く覇気のない口調。その声音は、まだ成長の途にある少女の物、それに相違なく。
 だが、それは見知らぬ誰かが発したものではない、とてもよく聞き覚えのある声でもあった。
 「――!」
 やられる…!
 よくよく見知った彼女の名をラズリが叫ぶ前に、剣は勢いをつけて思いっきり振り下ろされた。瞬時にしてラズリの身体が横たわっていたベッドの上にそれはぶすりと突き刺さる。だが、間一髪で彼は助かった。刃が眼前に振り下ろされる、そのわずか寸でのところで彼が身をひるがえしたおかげで、それをよけることができたのだ。
 しかし、安心するのも束の間。よけた勢いがすぎたラズリはぶざまにもそのままベッドから転がり落ち、床に体をしたたかに打ちつけて鈍い悲鳴を上げた。
 そして、またしても。シーツから乱暴に剣を引き抜いた彼女はぽんっとベッドのスプリングを利用して軽く身体を跳躍させ、そのまま下の床に寝転がっていたラズリめがけ腕を振り下ろし、その刃で彼を突き刺そうとする。
 「…っさせるか、よ!」
 起き上がろうと態勢を整える前ではあったが、ラズリは自分に向かってくる彼女の身体を足でそのまま蹴り上げた。
 「……ぐほっ!」
 衝撃を受けた彼女の身体は宙を舞い、床の上をごろごろと派手に転がっていった。そのあおりをくらい、彼女の手から短剣が離れた。剣はゆるいカーブを描きながら、飛んで行き、窓際の壁に当たると、そのまま床の上にからんからんと固い音を立てて落ちていくのだった。
 「どういうつもりだ、おまえ…! ティーナ!」
 激しく荒げた息を鎮めさせながら、やっとのことで立ち上がったラズリは、うずくまったまま、ひどく身体を疲弊させている彼女の肩をつかんで自分の方を向けさせた。
 「……っ! 何だこれは…」
 思わずラズリはぎょっとした。ラズリと面を合わせても、常軌を逸した血走った目をして低く唸り声を発するティーナ。その額には見たこともない印字が緋色で刻まれ、わずかに発光していたのだった。
 …もしや、古代魔法?
 噂に聞く、禁忌とされた古式ゆかしき負の力の凝集。
 もちろん、魔法の名を冠したものであることから、即ち現代魔法の基となった魔術そのものを指す総称ではあるが、その巨大な闇の魔力を行使することにより、使い手はその都度、激しく体力を消耗するのが常だったという。
 それは年を経るごとに魂を削り、寿命を縮めることとなり、やがては恐ろしき死に至ることが多かったと伝え聞く。
 そこから時代が下るにつれ、魔法の使い手である幾人かの有識者たちが寄り集い、高度な魔法研究がなされていったという。
 使用者の命を糧としてふるわれる、かつての魔力を制御するため、各地に散らばっていたさまざまな地方色あふれる呪いの構文の収集を繰り返し、統合し、平易なものに書き換えことによって、洗練された形に整えられ、平和的利用がなされるようになったと史実には記されているのだが――。
 ラズリの知る古代魔法の知識はせいぜいそれくらいが関の山。
 そんな彼に、ティーナを正気に戻す方法など思いつくはずもない。それに何よりも、頼みの綱のラズリが習得した数々の現代魔法のことごとくが、この館全体に敷かれた布陣のおかげで、この場では何一つとして効力を成さないときている。
 八方塞がり…だな。
 このままでは…おれはティーナに殺られてしまう。
 どうする? どうすれば、どうしたらいい…?
 「目を覚ませティーナ…! おれだ。ラズリだ! おれのことがわからないのか!」
 ラズリの必死の呼びかけにも関わらず、くわっと歯をむいて抵抗の意志を示すティーナ。ラズリはいたしかたなく、ティーナに直接手を上げることにした。
 ラズリがティーナの頬を打つ、その一瞬前。彼の脳裏にアガシの顔がぱっと浮かんだ。
 とたん、なんともいえず、すまない気持ちでいっぱいになったが、この際、背に腹は代えられないだろう。
 何せ、自分の命がたった今危険にさらされているのだ。躊躇していては、そのままティーナにばさりと斬りつけられ、即彼岸の彼方だ。手段は選んでいる暇はない。
 ラズリが平手打ちが彼女の頬に決まったとたん、ぱしりという音が室内に響き渡り、ティーナはその勢いで身体を横倒しにさせ、床に手をつく格好となった。
 しかし、それでもティーナの態度は変わらなかった。なおのこと目つきをとがらせ、執拗に短剣の落ちている床を這うように手をのばそうとするばかり。
 「よせティーナ! やめろ、やめるんだ…! おれの声が聞こえないのか…!」
 ラズリはティーナを動きを制止しようと、彼女を背後からはがいじめにした。
 しかしそれでも、ティーナは悪鬼のごとくうなり声を上げ、全身の力をこめて彼の腕をふりきろうと必死になってもがき続ける。
 すごい力だ…。しょせんかよわい女の子だと思って力加減を見誤ると、かえってこちらが痛い目に遭いそうだな。
 そんな感心をしている暇はないのだが、ラズリにはこれ以上どうしたらいいのかほとほと困り果てていた。
 このまま全身の力でティーナの身体を押さえつけて動きを制しても、彼女にかけられた魔法の呪縛は強すぎて、とうていラズリにはどうすることもできないのだから。
 どうする…。どうすれば…?。
 焦るあまりによい考えが浮かばず、ラズリはただひたすら途方に暮れて、半ば泣きたい気分に襲われた。
 「ティーナ…! 頼む、正気に戻ってくれ!」
 悲痛なまでのラズリの叫び。その願いを聞き届け、それに応じたのかどうか定かではないが、彼の胸元できらりとかすかに光る何かの存在があった。
 守り石――! 
 ラズリがそう思う間もなく、石は短い間隔で点滅し、光を発し続けた。するとそれによるおかげかどうか、定かではないが、少なくともティーナの様子には何らかの影響を及ぼしたようだ。
 自分を床に押さえつけているラズリの体を大きくはねのけようと、激しく抵抗していたティーナの動きが、徐々にだが治まりつつあったのだ。
 館全体に付された魔法を完封させる布陣。全ての魔法の効力をゼロにするということは、ありとあらゆる魔法道具に関してもそれが適応されることに他ならない。
 しかしこの石はそれが効かないっていうのか…?
 いや、そんなことなどどうでもいい。分析は後回しだ。今のティーナに効くかどうかはわからないけど、一か八かだ。やってやるぜ…!
 ラズリはぐっと決意を固めると、ひとまず深い深呼吸をひとつした。それからお腹に力を入れ、自身の思いの丈をこめて、解法の中でも一番平易だが効力のある呪を胸元に下げた石を通して彼女に施してみることにしたのだった。
 「… “内なる己の姿を取り戻し、真の闇の呪縛から解き放たれよ…!”戻れティーナ! おれのところに帰って来い…!」
 叫ぶラズリの胸元で、あの守り石がまた光を放った。
 五色、七色…。虹のプリズムのように変幻するその光に包まれ、ティーナの額からいつの間にか紋字がすうっと消えていった。さらに、それとともに彼女の意識も次第にはっきりしていくのだった。
 「あたし…? いったい?」
 徐々にその光がおさまっていくにつれ、完全に我に返ったティーナは自分の目の前にラズリがいること、そして自身の視界の端に短剣が転がっていることを知った。
 そのことによって、いったい何が起きたか定かではないが、どうやら自分が重大な過ちをしでかしたであろうことに気づき、慌てて床にひれ伏してラズリの許しを請いた。
 「あ、あ、あの無礼を働き申し訳ございません。お許しくださいませラズウェルトさま…!」
 しかしラズリはそれよりも自身がラズウェルトと呼ばれたことに驚愕し、ティーナの前で静かに膝を折った。
 「何故おまえがそれを…。ティーナおまえ、確か薬師…ガルオンの娘…! まさか、あの時の…。ファナトゥの離宮で?」
 「こ、この度は一度ならず二度までもお命を危険にさらしてしまい、どうお詫びを…。本当に申し訳ありませんでしたっ」
 「…いい。面を上げろ」
 ラズリは呆けた気持ちになりながらも、ひとまず難が去ったことに一応安堵していたためか、彼女を頭ごなしに叱り付ける気分にはなれなかった。
 とりあえず彼女からどうしてこういう経緯になったのか、詳しい事情説明を受けようと試みるのだが、全く事態を把握していないらしいティーナは、ただひたすら己の失態を恥じて床の上で泣きじゃくるだけ、ただ小刻みに肩を震わし続けて詫びを繰り返すのみだったのだ。
 そんな彼女の態度に業を煮やして、先に短腹を起こしたのはラズリの方だった。
 「もういい…! いいからって言っているだろ。聞こえないのか」
 ティーナに対し、ひどく怒りを露にさせて言い放つと、その肩をぐっとつかんで無理やり彼女の顔を自分の方に向けさせる。
 「…っ!」
 一瞬、ラズリはうろたえ、ひるんだ。
 流した涙の量があまりにも尋常ではないため、泣き濡れてひどく崩れた彼女の顔は、見るも無残で、ひたすら哀れとしか言いようのないものだったのだ。
 しかし、それでも――。
 かまわずラズリは彼女の頬を両手で持ち上げ、自身の顔をじっくりと近づけさせた。
 ティーナの頬にはらはらと流れ落ちる涙の出所、そう、その目を、もっと間近ではっきりと見よう試みてみたのだ。
 彼女の瞳の色、それは一見すると黒一色で覆われているのだが、さらに奥まで見入れば、それはまぎれもなく深い藍色、深海の色が色濃く残り、それらが凝縮して一様に黒く見える。そのことにラズリはやっと気がついたのだ。
 ふと、ラズリのまぶたの裏によみがえる幼い少女の記憶。
 何もないはずの空間にも、そのまま道が延長されているかのような足取りで、自由闊達に、難なく空中歩行を楽しんでいた少女。
 その子に誘われるまま、一緒に手をつなぎ、自分も空の散歩を存分に味わった、そのことを思い出したのだ。
 その時の思いが高じて、空を飛びたいと思い続けて今に至る。その全ての発端だったあの少女の面影が、まさに目の前にいるティーナと合致し、見事ぴったりと重なるのだった。
 ラズリは「やっぱりな」と自分の考えが裏づけられたことを確信した。
 だがすぐに、行き過ぎたその行為にハッと我に返り、さっと彼女の頬から手を下ろす。
 そして、やはりまた。すぐに同じように思い出すのだった。ティーナと初めてファナトゥの離宮にて出会った時も、全く同じことをして、彼女の目の色を確かめたことを……。
 「…悪かったな。乱暴して」
 「いいえ…。いいえ…。それよりも私の方が…あなたさまのことを…」
 ふるふると首を振るティーナ。しかしその続きはとうとう声にならず、ただしゃくりあげては、はらはらと涙を流し続けるばかりだった。
 そんな様子を傍目で眺めていたラズリは、ぼそりとつぶやくように言い放った。
 「いつでもおまえはおれの前では泣いているな」
 「す、すみません…。も、もうしわけ…」
 「もういい。堅苦しい態度は抜きにしてかまわん。ここは学校だ。王宮内じゃない。それにおれたちはもともと同級生なんだから、そんな口調は不自然だろ。普段通り、ラズリ・マーヴィとして接してくれ」
 「でも…」
 「おれがいいって言ってるんだ。その通りにしろ。ここでは、王太子ラズウェルトとして扱われたくない。誰でもない、ただの学生の一人として勉強しに来ているだけなんだし」
 ラズリは言いながら床の上に落ちていた短剣の存在に目を留め、拾おうとして、ふと刃に薄く塗られた紫色の粘液がついていること気づき、少しだけ唇をゆがませた。
 …死毒草、か。ご苦労なこった。
 「――ミランダにやられたのか」
 細心の注意を払いながらラズリは短剣を拾いあげた。だが剣は、ラズリが手にして間もなく、たちまちぼろりと崩れて形をなくし、さらには細かい粒子となって空気にさらりと散逸していった。
 …それはたぶん、ミランダは最初からそのような呪(まじない)を短剣に施していたのだろう。
 凶器として使用した証拠は残さない、というわけか…。
 その辺りに自分の命を付け狙うミランダの用意周到さがうかがえられ、ラズリは苦々しげ唇をかみしめた。
 「え、えっと。あたし…さっき保健室で先生に手当てをしてもらって…美容と健康にいいっていうジュースを飲んで、それきり。あとはもう…。何も、何も覚えていないんです」
 「それか」
 ふるふると何度も首を振り、何もわからないことを強調するティーナ。
 それに対しラズリは唇の端をゆがませると、やれやれとでも言いたげに肩を軽くすくめてためいきをついた。
 「まあいい、対策は後で考えよう。…とりあえず、ここからおまえがどうやって帰るか、を思案するのが先決だな」
 「あたし…?」
 「出入り口はあそこのドアしかないんだが、あれは二つの錠前でがっちりと閉められている上に、ご丁寧にも魔法封じの術がかけられている。もっとも、それはこの館全体がそうされているせいでもあるが…。しかもここは四階建てのてっぺんの部屋だろ。向かい側の部屋にいるアガシに助けてもらおうにも…どうにも無理だな」
 「え…。それじゃ」
 「ただ、もうすぐ夕刻だ。時間になればここ北の塔の管理人、ロブが夕餉の皿を持ってやってくるはずだから、その時になればあの扉は開く。…しかし、だ。彼におまえがここにいるその説明を、どうつければいいんだ?」
 「………」
 ティーナはラズリのたたみかける物言いに、返す言葉もなくそのまま押し黙った。
 何しろ、先の件でひどく精神がまいっているせいもあるのだ。そう早々とひどい衝撃から完全に立ち直れるわけもない。
 そんな彼女に冷静で客観的な判断を仰ごうなどと、土台無理があろうな…。
 ラズリは一人でそう判断し、彼女からこれ以上意見を求めようとしないことに決めた、そのとたん、思い当たることがあって小さく「あっ」と声を上げた。
 「…そうだティーナ、おまえ空を飛べるじゃないか。おれの目の前で何でもなく空を歩いていたんだから。あれは魔法の力じゃない、血の力で出来たんだろ? それなら魔法が使えなくたって、全く問題ない」
 「…ごめんなさい。ダメなの」
 ラズリの打ち出した名案に悲しげに顔を曇らせ、すげなく首を振るティーナ。
 「あれ以来、あたしは飛ぶ力をなくしちゃったみたいなの…。何度試そうとしても、力がすっぽりと抜け落ちたみたいで、空の飛び方を忘れちゃってて、どうやって自分が空を飛んでいたのか、全然わからないの…」
 「万事休す、だな」
 重たげなためいきをついて、ラズリは窓の方へと寄っていった。
 「そうか、ならば仕方ない。あとは自力でなんとかするだけだな」
 ラズリは窓を両開きの窓を開けた。館の周囲をぐるりと取り囲む林立する木々がまず景色の先に見えてくる。
 そしてそれらの中でも、建物に一番近い場所に植わっている木までの距離を目で測りだした。
 「…まあ、大体ギリギリで何とか飛べそう、だな」
 ラズリが目星をつけた木から、こちら側にぐんとのびている太い枝があった。まずはあれを目指して勢いをつけて飛び移れば、あとはなんとかなりそうだと踏んだようだった。
 「無理だよ、飛べないよ」
 ラズリが何を考えているのか、それとなくわかってしまったティーナは慌てて首を振って飛ぶことを拒否した。
 確かに昔のように魔法が使えなくとも、空中歩行が可能であれば彼の案には一も二もなく賛同したことだろう。
 しかしそれすら、飛ぶ力を失くした今となっては、失敗すれば即ちそれ相応の痛い目に遭うことがあらかじめわかっているだけに、向こう見ずな精神でもって、自ら危険に飛び込む度胸が持てないのはいたしかたないことだった。
 意気消沈し、そのまましょんぼりとうつむいて座りこむティーナ。
 そんな彼女の前にラズリはすとんと腰を落とすと、何も言わずに自分の首から下げていた皮ひもをほどき、ティーナの首にそれをかけ、そっとひもを結び直すのだった。
 「…ラズリ、これ」
 ティーナは驚き、慌てて彼を見やる。
 だがラズリは、ふっと笑みを唇の端にもらしながら、皮ひもの先についている針金で巻かれた石を指先で軽く弄ぶだけだった。
 「おれの守り石だ。おまえにやる」
 「え…でも」
 「四の五の言わずにもらっておけ。おれはこれのおかげで何度も助かっている。きっとおまえのことも守ってくれるだろう。さっき、おまえも見ただろう? この石の光を。あれがおまえをミランダの魔手から救ったんだ。だから、大丈夫だ。安心して飛べ」
 力強く言い放ち、そっと石から手を離すと、代わってティーナの方がその石を指先で転がしはじめた。
 「…これ。ずっと持っていてくれたんだね、ラズリ」
 「なんでおまえがこれのことを知っている?」
 石に対して懐かしそうなまなざしを浮かべるティーナに対し、今度はラズリの方が驚きの表情を彼女に向けた。
 「えっと、あたし…その。ごめんなさいっ」
 ラズリに指摘されてハッと我に返り、慌てて頭を下げるティーナ。
 「たぶんこれは…。あの、きっとそうに違いないとは、思うんだけど、あたしが置いてきたものなんじゃないか、なーって…。ほら、ラズリが竜のところに行って、ひどい怪我をして昏睡状態で寝込んでいたことがあったでしょう? あの時、あたし心配で、誰にも内緒で様子を見にラズリの枕元まで飛んで行ったの。…だから」
 「そう…だったのか」
 たどたどしげに言い募るティーナの言葉に、ラズリは今までそうではなかろうかと、ぼんやり不確かに思っていたこと、その何もかもが彼女の存在そのものによって氷解し、明白となり、自然と腑に落ちた気がして、半ば力抜けた気分でそのままぺたんと床に座り込んだ。
 「ラズリ…?」
 「おれはずっと、あれは夢の中の出来事なんだと思っていた。あの時出会った女の子…おまえの声が聞こえたような気がしてならなかったからな。だけど、まぶたを開けてもそばに誰もいなかったし、だから、きっとこれは薬師か専属魔法使いの誰かが、まじないの類でおれに握らせたのだと思っていた。だけど、やっぱりあの時、おまえはおれのところに来ていて、おれにこれをよこしたのか…。そうか――」
 ラズリはなにやら一人で合点がいくと、力なく笑い、無造作に自身の前髪をかきあげた。
 「おれはずっと、知らずおまえに守られていたってわけか」
 「守るだなんて…。そんな」
 ティーナはたまらずにふるふると首を振った。
 ラズリの命をつけ狙う、様々な方面から伸びる数々の魔の手。
 それらをはねのけ、ラズリを救い、ひたすら守ってきたという、偉大な力を秘めたその小さな石のかけら。
 確かに自分の中から分離していったものには違いないが、そんな大それたことなど、何の力も持たないちっぽけな自分ができるはずもない。
 現に、こうしてお互い大きくなって再会してからというもの、彼のお荷物になるようなことをしでかしてばかりで、かえって迷惑をかけているのはまぎれもない事実なのだから。
 ティーナはそのことを思うとさらにまたしうんと気持ちを沈ませる。
 「まあ、いい。そういうことなら元の持ち主に返して正解だな」
 「でも…。それじゃラズリが大変じゃない? 危ない目に遭った時に、やっぱりこれがあった方がいいんじゃ…」
 「あのなあ…?」
 真剣なまなざしを浮かべて、ひたすら彼の身を案じるティーナに、ラズリはくしゃりと表情を崩して軽く笑みを浮かべた。
 「えっと…ラズリ?」
 何かおかしなことを口走ってしまったのかと、ティーナはとまどいを隠せない思いで彼に視線を向けていたが、当のラズリは「いやいや、なんでもない」と言いたげな顔で手を横に振って彼女の杞憂を即座に打ち消すのだった。
 「ま、いいけど。さすがに女の子にそこまで心配されるほど、大してか弱くないつもりだぜ、おれ。これでも護身術は小さいときからたたきこまれている。ちょっとやそっとじゃ、簡単にやられはしないさ」
 「そ、そうだよね…! ラズリ、魔法も堪能だけど、体育の成績だって抜群だものねっ」
 勢いこんだせいか、微妙にズレた受け答えをするティーナにラズリは一瞬何のことだときょとんとした目つきを浮かべたが、すぐ、さもおかしそうにからからと笑い声を立てるのだった。
 するとそれにつられたのか、ティーナもこころもち微笑みを浮かべだした。
 もちろん、普段カレンたちと一緒にいる時に比べたら、ややぎこちなささは残っていたものの、それでも彼の笑顔に触れたおかげでがちがちに緊張していた態度がやんわりとときほぐれたのは事実だったのだ。
 「おまえ、笑うとかわいいな」
 ふっと笑い声を途切れさせたラズリがそう口火を切り出した。
 ティーナはまたしても突然すぎる彼の物言いに心臓が跳ね上がりそうなほどの衝撃が貫き、先ほどとはまた異なる種類の動揺が隠しおおせなかった。
 「え…あ…。ラズ…リ?」
 やだ…ちょっと待って。どうしよう、何でこんな時にどきどきが治まらないよお。ま、またラズリに“人間信号機”だなんてからかわれて笑われちゃじゃない。
 そんなティーナの、風で激しく揺れ動く湖面のさざなみに似た胸の内など、知ってか知らずしてか、ラズリは変わらない態度ですらすらと後を続けた。
 「…うん? ああ、アガシがおまえをやたらほめちぎるのも、ちょっとうなずける気もするな、ってさ。…ま、さすがに泣き顔はもう見飽きたっていうのもあるか。そうやって笑っていた方がいい。その方が絶対いいから」
 思いもかけないラズリのやんわりとおだやかな口ぶりに、ティーナは一人で妙に意識してしまったらしい。かーっと顔が火照っていくのを自身でも止められなくなったのだ。
 しかしラズリはティーナの様子などさらさら気を遣うことなどないばかりか、善は急げとばかりに、さあ早く早くと追いたて、しまいには強引に彼女の手をひっぱって窓の前に立たせるのだった。
 「さあ、もう行け」
 「…うん」
 ここまでされたらラズリの言う通りそれをやらないわけにはいかず、ティーナは不承不承、窓の桟に足をかけ、頭上が窓枠にぶつからないようにと気にしながらも、よっこいせとその上に立ち上がった。
 「それじゃ、ラズリ。また教室で会おうね」
 おっかなびっくり窓枠を後ろ足で蹴って木に飛び移るティーナ。その時、ふわりと体が軽く浮いたような気がした。
 え…? まさか。力が、戻った…?
 もしかしてこの石のおかげなの?
 そう思った瞬間、伸ばした手に枝の感触が鋭く当たり、何も考える間もなくティーナは反動を利用してぐるりと一回転し、枝に足をかけて身を起こした。
 その後もおっかなびっくり、ひやひやどきどきしながら、始終、制服のスカートの裾がまくりあがらないようにだけ気をつけつつ、枝から幹を伝い、足場を確かめてはそろそろと下の枝に足をかけ、ということを繰り返しながら、おそるおそる下へ下へと降りていった。
 やっとのことで地面に足がつき、ほっとしたティーナは取り急ぎ頭上を仰ぎ見た。
 そして、はるか四階の窓から顔を出して下を眺めていたラズリの姿を確認する。
 ティーナが自分の方に顔を向けたことに気がついたラズリは、「やったな」という表情で指を立てて彼女に示した。
 ティーナはそれに「ありがとう」と応えたくて仕方がなかったが、うっかり大きな声を出して周囲に自分の存在を気づかせてはいけない。
 そのことに気づき、さらにティーナはよくよく気を引き締め、ただ満面の笑みを浮かべてぶんぶんと腕を振るだけにとどめた。
 それからティーナはきょろきょろと辺りを見渡し、誰も近くを通っていないことをよくよく確かめると、そのまま足早にその場から立ち去っていこうとした。が、その矢先。
 …え? あれは…まさか。ディーン先生?
 北の館をぐるりと取り囲む林の木陰の間に、見知った姿があったような気がしてティーナは一瞬息を飲んだ。
 だが、自分の存在がこんな時間にこんな場所にいることを彼に知られてはまずいのではと思いなおし、そのまま気づかないふりをしてひたすら建物から遠く離れようと、少しびっこを引く足を気遣いながら大股で敷地内を歩き続けるのだった。



* ** ** ** ** *




 セレスト・セレスティアン王国の王都。セルリアン宮殿内の国王陛下の寝所のドアが静かに閉じられ、中から宮廷付専任の薬師・ガルオンが廊下に出てきた。
 それを待ってましたとばかりに駆け寄る複数の女性の姿があった。
 まず一人はきらびやかな装束を身にまとい、頭上には比較的簡素な作りの普段仕様のティアラをいだいている王妃グィネビア、その人だった。
 「ご苦労でしたガルオン。して、王の容態はいかがか」
 彼女に続き、長姉・エステルと次姉・フレイ、さらには末姉のマイカまでもがガルオンを取り囲み、それぞれが一様に王の容態を案じる発言を繰り返した。
 エステルとフレイは父王ジェラルドの身が最近芳しくないことを案じて、それぞれ嫁ぎ先の近隣国より専任の魔法使いに道を通してもらい、たった今宮殿内に到着したばかりなのだった。
 ガルオンはとうの昔に嫁して、この国にすらいないはずの二人の姫君の急なお越しに一瞬戸惑いながらも、それでも襟を正してまずはきちんと王族に対する礼儀作法をわきまえるべく、うやうやしく一礼して彼女たちのたずねるところに対して誠実に返事を返すのだった。
 「…はい。今のところは安泰です。ただ、今後は五分五分といったことに転じる可能性は大ですが」
 言いづらそうに声の調子を落としながら、そっと目を伏せるガルオン。
 だが、しかし…。
 このことを言うべきか言わざるべきかを、彼はためらいながらも、それでも意を決意し王妃とその三人の姫君たちに面を向けた。
 「グィネビア様、姫君さま。宰相の立場でもない、ただの宮廷付薬師の私から申し上げるのは、大変さしでがましいこととは思いますものの、やはり王の万が一に備えてラズウェルトさまを王宮へ呼び戻すべきかと…」
 口幅ったい調子で進言するガルオンに、当の王妃はきっぱりと首を振って彼の言葉を打ち消す。
 「なりません。…よけいな心配をかけたりしては、あの子の勉学の妨げになりましょう」
 「しかし…! いざという時にはすぐに次世代の頭首が国を率いて立たねば、さすがに民も不安にかられまする。幸い、近隣諸国との関係は姫君さまの婚姻によって均衡が保たれており、戦の心配には発展せず、無事ラズウェルトさまの戴冠が迎えられば、これまで同様、平和な統治が望めまするでしょうが、さすがにずっと空位の状態が続けば…」
 王妃はガルオンの親身になった心配りに「そなたの言うことも、もっともだと」言わんばかりに力強くうなずいた。
  「…一国を預かる主として、人々の頂点に立つ長たる王と、その伴侶としての私の立場から申せば、ガルオン、あなたの言う通り、この大事に対して躊躇なく決断をいたさねばなりません。長きにわたる歴史を持つ、このセレスト・セレスティアンの存続を願えばこそ、それが最も妥当な方策でしょう。ですが…」
 だが、それすらも承知の上でと前置きをして、さらにグィネビアは母親としての立場から自身の意見を彼に述べるのだった。
 「それでも私はラズ…ラズウェルトの意志を尊重して、あの子の気持ちを優先させてやりたいと強く望みます。 どうせこれから先、どうしたってあの子が存分にその自由を謳歌することなど、けしてありえないのですから。ならばせめて、今のこの限られた猶予の間だけでも、王太子としてではなく、誰でもない一人の人間として最後まで好きな事を全うさせてやりたいと思うております」
 「妃殿下のお気持ち、心からお察し申し上げます。また、仰ることもいたくわかります。私にも子が二人もおりますし、まして一人はご子息と同じ学校にて教卓を並べておるとお聞き及びしております。お立場としてはほぼ同じ思いで共感いたしますが、しかしそれでは…」
 「ガルオン…。これは私だけでなく、王も同じお考えをお持ちでおられるのですよ。そうでなければ、たとえわずか数年といえども、王が自身の病への不安を常に抱えながら、跡継ぎを世に出すことなどありえないではないですか。専任の魔法使いたちに命じて、あの子の意志を故意に曲げさせ、考え方を修正させることなどわけないのですからね」
 「お話の途中で失礼いたします…! ガルオンさまに火急の用件にておいでいただきたく、たった今早馬がファナトゥの地より参りましてございます」
 王妃とガルオンの会話を遮るかのように、一人の使者が彼らの前に現れた。
 ファナトゥの地よりの早馬…?
 それでは、セシリアさまの身の上に何かが…!
 「承知いたした。それでは今より参る」
 ガルオンは手にしていた袖無し外套を急いで肩につけ、ばさりとひるがえすと、外出用の帽子をきちんと被り直した。
 それから王妃と三人の姫君に向かって一言「では御免」と頭を下げると、使者の後をついて廊下を急ぎ渡っていく。
 「いったいどういう用向きだ。セシリアさまのお体の具合が悪いのか?」
 ガルオンは移動の間にも取次ぎの使者に詳細を尋ねるのだが、彼は首をひねりながら、
 「さあ…。何せ詳しいことはわかりません。お迎えの方もただ、至急ガルオンさまにファナトゥまで来られたしとの仰せですから」
 とその一点張りで、ガルオンが求める答えを得ることはついぞなかった。
 しかしそれにしても…。ファナトゥの離宮まではいくら早馬で飛ばしても王都から半日はかかる。それまでの間に、何事も起きねば良いが…。
 いくつかの角を曲がり、足早に通りすぎようとした矢先。ガルオンの背後で彼を呼ぶ声がして、慌てて振り返った。
 「いかがなされましたかガルオンさま。そんなに急いで。まさか王のご容態に何やら大変なことにでも?」
 「いえ、王の方は今のところ大事には至りますまい。今は別件にて急いでいるものでしてね。…して、どなたかな?」
 自身の職務に関することを問われるままに返答したものの、ガルオンにはこの目の前にいる若者の姿に見覚えがなかった。
 魔法使いを表す黒色の袖無し外套に、宮廷付専任であることを示す深い藍色の縁なし帽を被っているところを見ると、確かに彼の出自は明らかだった。
 だが、その帽子についた羽を模したデザインのピンバッヂは乳白色…。等級としては一番下の位に当たるだろうか。
 同じく羽を模ったピンバッヂをガルオンも襟元に付けてはいるが、最上位に当たる金の色だ。そのため、宮廷内でお互いさほど顔を合わせることも、会話を交わしたこともないのはいたしかたないことだった。同じ宮廷付専任職に就いている者同士といえども、格付けによって普段彼らに与えられている部屋が存在するエリアが異なるため、それはごく自然の成り行きだったのだ。
 「…ああ、これはこれは。ご挨拶もせず失礼いたしました。わたくしはクリフ・アーヴェレと申します。これを機に以後、お見知りおき下さいませ。ガルオンさまのご記憶にも新しいことと思いますが、同じく宮廷付魔法使いだったアダマー、父が数年前に亡くなりまして、その後を継いで今年からわたくしもこちらにご厄介になっております。父が亡くなった折には葬儀にもご参列いただきまして、この場を借りまして篤く御礼申し上げます」
 うやうやしく頭を下げる彼に対し、ガルオンはまあまあととりなすような表情を見せた。
 「そうでしたか、アダマーさまのご子息とは…。 あの方が鬼籍に入られてもうそんなになりますか。…ええ、大変よく存じ上げておりますぞ。生前はとてもお世話になりましたものでしたな。自分が後輩の立場でありましたので、多岐に渡って面倒を見ていただいたことが昨日のことのように思い出されますな…」
 「…そのようでしたね。わたくしも生前、父からガルオンさまのご活躍は常々耳に入れて深く存じ上げております。今後は亡き父と同様、お世話になりたく思う所存ですので、よろしくご指導・ご鞭撻の程を」
 さらに丁寧に挨拶を述べる彼に対し、ガルオンは急いでいるのでこれにて失礼すると手短に答えてその場を去ろうと一歩踏み出した。そんな彼を、再びクリフは引き止める。
 「ガルオンさま、どちらにおいでになさるのですか? お急ぎのご用事がお有りでしたら、僭越ながらこのわたくしめが彼の地までの道をこの場にお開きいたしますが…」
 言うが早いか彼は次々と魔法の詩文を詠唱しだし、あっという間に何もなかったその場の空間にドアを一枚出現させ、ガルオンに向かってにこりと笑みを浮かべるのだったた。
 「…あ、ああ。ファナトゥの離宮までなのだが…」
 「はい、かしこまりました」
 「し、しかし…。い、いいのかね? 契約なしで私がそなたの魔法の恩恵にあずかっても? こんな大きな魔法を頂戴するのであれば、報酬ではいかほどに?」
 「いいえ、かまいません、お近づきの印ですから、どうぞご遠慮なくお使いくださいませ」
 「ふむ…。ならば、ありがたく使わせていただくことにしよう。実に恩に着る」
 「どうぞいつでもお気軽にお申し付けくださいませ。ガルオンさまのお役に立てるのであれば、墓場の父も喜ぶことでしょう」
 こつこつこつと三回ノックをして、ドアノブを回して開く。ドアの向こうは砂模様のザーザーした面が広がるばかりで、本当にファナトゥの地とつながっているのか定かではなかった。だが、ガルオンは他の魔法使いが扱う空間転移の術を何度も目の当たりにし、似たような状況に遭遇していたので、今さら気にも留めなかった。
 「ガルオンさま、最近はよくファナトゥの地に参っていらっしゃいますね」
 一歩、砂模様の中に足を踏み入れたガルオンの背に向かってクリフはふいにそんなことを口走った。
 「行ったり来たりが続いてずいぶんせわしいご様子ですが、ファナトゥの離宮でいったい何をなさっておいでなのでしょうか…?」
 「まあ、それは君、いろいろあってだな」
 「はあ、いろいろ…? それではいったい、どんないろいろがございますでしょうか」
 「そ、それは決まってるじゃないか。私の薬師としての腕が見込まれているせいだろうよ。セシリアさまが宮廷にいた時分からだいぶ私がお世話しておったからな、そのまま引き続き嫁いだ先でも私の薬をが求められている、ただそれだけのことだよ、なに」
 急に早口となったガルオンが矢継ぎ早にまくし立てると、そのちょっとした変化に気づきながらも、クリフは「そうでしたか」と、もっともらしくうなずいて、そのままなんでもなく振る舞い続けるのだった。
 「ガルオンさまは本当にご多忙でいらっしゃいますねえ。それではどうぞお気をつけてお勤めをば。行ってらっしゃいませ」
 「ありがとう。それでは君、わざわざ早馬をよこしてくれた使者の方によろしくと伝えておいてくれ。私は一足先に彼の地に参ると、な。ひとつ丁重に頼む」
 ガルオンが背後を振り返って先ほどの使いに声をかけると彼は「はい」と大きな声で返事をし、すたこらとその場を去って行った。
 それを見届けた後、ガルオンは再度クリフに向かって軽く頭を下げ、すぐに前を向き直るとそのまま足早に砂模様の中へと去っていった。
 ガルオンの姿が完全に見えなくなって割合すぐのこと、クリフがぱちんと指を鳴らすと、たちまちのうちに先ほどのドアは跡形もなく消えうせる。
 それからクリフは、ふむと何やら考え込む仕草をした後、自身の懐深くに手をごそごそと差し入れ、水晶球をはめこんだ振り子時計を取り出すのだった。
 「…まだ、反応は現れませんようですねえ」
 彼は時計をそっと揺らして何やら確かめごとを行うと、再び懐に手を差し入れてそれをしまい戻すのだった。
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