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こんばんは、藍川いさなです。
ずいぶん時間が掛かってしまいましたが、「転の章・1」がやっとアップできました。

それでは、お楽しみくださいませ。
(楽しんでいただけるといいなあ…)

         *    *    *    *

 扉の向こうへ踏み入れた足が地に着いた途端、周囲の景色が一変した。見慣れた王宮の廊下ではなく、そこは緑溢れるファルナトゥの庭園だった。予想外の場所に出てしまったと思ったガルオンだが、目の前に佇む人物の姿を見つけ、慌ててひざまずく。
「…ガルオン?」
 蒼い瞳をした主は、金色の頭に麦藁帽子を乗せ、泥にまみれた野良着という農夫とあまり変わらない姿をしていた。右手には園芸用の鋏を、左手には切りたての乳白色の小さな花をつけた薔薇の枝を。ディルナスは驚いたようにわずかに目を見開くが、すぐに表情を和らげた。
「ずいぶん早い到着だったね、ガルオン」
 そう言いながらディルナスは次に摘み取る花を選ぶように指先を彷徨わせる。どうやらセシリアの容態が急変したのではないらしい。もしそうであれば、ディルナスがこんなに平静でいられるはずがなかった。すると、ガルオンの疑問に答えるようにディルナスは言った。
「お前を呼んだのは母上のことでではないよ。早馬なんて出してしまって悪かったね、お前を驚かせてしまったようだ」
「いえ」
 ガルオンは恐縮するように頭を下げる。
「……ところで本日はどのようなご用件でしょうか?」
 するとディルナスはやれやれと首をすくめる。
「せっかちだな、お前は。もう少し待ってくれないかな。まさかこんなに早く来てくれるとは思っていなかったから、庭の手入れが途中なんだ」
「申し訳ございません」
「気にしないでいいよ。僕が呼んだのだから。それにしてもどうしてこんなに早くファルナトゥに着けたのかな?」
 からかうように訊ねるディルナスを怪訝に思いながらもガルオンは答える。
「魔法使い殿に移動の術をお借りしました。いくら駿馬でも王都からは半日は掛かりますゆえ」
「…魔法使い、ね」
 興味深そうにディルナスは呟く。音もなくすぐ目の前に歩み寄ると、突然ガルオンの耳元で鋏を鳴らした。途端、ぱんっという破裂音と共に小さな旋風が起こる。一瞬の出来事に何が起こったかガルオンには理解できなかった。
「……今のは、一体?」
 驚きと戸惑いを含んだ呟きを漏らすと、ディルナスは苦笑する。
「油断したね、ガルオン。どうやら誰かに『目』を付けられていたようだね」
「…………なんと」
 思い浮かぶのはクリフ・アーヴェレ、宮廷付魔法使いアダマー・アーヴェレの子息と名乗った青年の顔だった。
(まさかあの青年が?)
 言われてみれば、ガルオンが頻繁にファルナトゥに出向く理由を気にしていたようだ。そんな話をした後に『目』を付けるとは、ずいぶん安易ではなかろうか。気づかれないと侮られたのか。もしくはまさかその直後にそんなことはするまいと裏をかかれたか。
 ガルオンの思考を遮るようにディルナスが問い掛ける。
「ところで、お前をここまで送ってくれた親切な魔法使いは…誰?」
 見上げたディルナスを見て、ガルオンは微かに息を飲んだ。相変わらず温和な表情ではあるものの、蒼い瞳に浮かぶ光は凍て付いた海のように冷ややかだった。
---彼の名を口にしてはいけない。
 友人の息子だからだけではない。これ以上、犠牲になる人間を増やしたくなかった。
「それが…」
 ガルオンは即座に判断すると、力なく首を振り、地に額を擦り付けんばかりに頭を垂れる。
「最近入ったばかりの魔法使いのようで、まるで面識がなかったものですから詳しくは……申し訳ございません」
「面識がないのに空間転移の術を貸してくれるとは、ずいぶん親切な方のようだね」
 ディルナスが言うのはもっともだった。見ず知らずの人間に、その上、何の契約もなしに魔法使いから魔法の助けを得るなどないに等しいのだから。まして宮廷付専任であれば尚更だ。下級とは言えども宮廷に使える身ともなれば、その力はセレスト・セレスティアン王国に捧げたも同じこと。
 そう考えてみれば、クリフが取った行動は常軌を逸しているとまでは言えないものの、少々行き過ぎている。クリフが何かに気づいていることは確かだろう。だが、行動があまりに軽率過ぎる。
「もしや、私に『目』を付けるためだったのかと思われます。申し訳ございません。つい気が逸るあまり油断しておりました」
 もっとましな言い訳ができないのかとガルオンは唇を噛む。もうこれ以上ディルナスが追求をしないことを祈るだけだった。
 束の間、沈黙が流れる。
 たった一瞬だったかもしれない。だが、それが途轍もなく長い時間が流れたようにも感じられた。
 頭上で鳥の羽ばたきが聞こえた時、ディルナスが小さく吐息する。
「……もういいよ。顔を上げてくれないか」
 何やら含みのある呟きに不安がよぎるが、それを気取られないようにガルオンは真っ直ぐに面を上げる。ディルナスは麦藁帽子をはずして軽く頭を振るうと、おっとりと微笑み掛けた。
「ちゃんと顔を見て話してくれないかな。堅苦しいのはあまり好きじゃないんだ」 
 ディルナスは摘み取ったばかりの薔薇を麦藁帽子に収めると、ひざまずいたガルオンの前に同じように膝を折った。
「ガルオン、お前にはラズウェルトと同じ歳の娘がいたね」
「はい」
 唐突な話題を振られ、ガルオンは怪訝に思う。
「実は以前から母上の世話役をひとり増やしたいと考えていたんだ。母上は女の子の友人が欲しいとおっしゃっていてね」
「は……」
 ガルオンは息を飲んだ。
 ---まさか。
 予想が当たっていないことを祈りつつ、ガルオンは至極真面目にこう答えた。
「それでは適任の者を宮廷付薬師の中から選出致しましょう」
 だがディルナスはガルオンの答など気にも留めず訊ねる。
「娘……確かティーナと言ったよね。後継者となるためにロータスに行っていると聞いているけれど…?」
「…しかしまだ修行の身でありまして、まだまだ先の話です」
「でも一通り薬師としての教えはお前から施されているのだろう?」
 心臓の鼓動が早くなるのをガルオンは感じていた。唾を飲み込む。平静を装おうと微笑を浮かべるが、それが上手くいったのか自分ではよくわからなかった。
「いえ、ディルナス様」
 ガルオンはゆっくりと首を振る。
「それだけでは薬師として十分ではございません。様々な知識と教養を兼ね備える必要がある故にロータスへ…」
「ガルオン」
 ディルナスは声を発し、ガルオンの言葉を遮った。
「…僕が何を言いたいのか、わかっているだろう?」
 今までにないくらい優しい声色で囁く。
 ディルナスの言葉は、質問ではなく確認だった。柔らかな声色には鋭い牙にも似た危ういものが潜んでいた。それを隔てるのは薄紙程度のもの。たったひと言、発する言葉を間違えれば、その隔たりは簡単に破られる。
 故にガルオンに残された選択は、ただ頷くことだけ。
「……はい。承知しております」
 再び頭を垂れる。ディルナスに対して、反論など口にする余地はない。
「早急にお前の娘をファルナトゥに呼んで欲しい。母上の良き話し相手となって欲しい」
 春の陽射しのような笑顔を向けると、麦藁帽子ごとガルオンの手に押し付ける。
「後は頼んだよ」
 そうガルオンに念を押すと、再び薔薇の茂みの中へと戻っていった。取り残されたガルオンは途方に暮れていた。それは誰の目にも一目瞭然なほどで、痛々しいくらいだった。
 ガルオンはのろのろと立ち上がり機械的に一礼すると、足早に庭園を立ち去った。

       *      *      *      *      *          

 ディルナスは鋏を動かす手を止めると庭園を見渡した。すでにガルオンの姿はない。忠実な彼のことだ、すでにロータスへ使いを出していることだろう。
 空を仰いたディルナスは、陽射しの眩しさに目を細めた。頭上に広がる空は深く澄んだ青色。その下には絵の具をばら撒いたように様々な色合いをした薔薇が一斉に咲き誇っている。
 この庭園の薔薇はすべてセシリアのためのものだった。今摘んだばかりの乳白色をした小さな薔薇は、セシリアの髪飾りにと選んだものだった。セシリアの曇りのない金色の髪にきっと映えるだろうと思った。
 だが当のセシリアはこの色はお気に召さなかったらしく、この花で作った花冠には見向きもしなかった。
---こんな雑草じゃ、嫌よ。
 セシリアは無邪気ゆえ、感情を包み隠さずさらけ出す。まるで汚らわしいものでも見るように眉を顰めたその表情を、今でも忘れることができない。大輪の花と比べれば、野性種に近い花など雑草にしか見えなかったのだろう。
『母のことを考えていただろう』
 低い男の声がディルナスに語りかける。
「…人の心を勝手に読まないで欲しいな」
 ディルナスは困ったようにほほ笑んだ。
 こんなにたくさんの花を咲かせても誰にも欲されない薔薇。誰にも愛でられることもなく、このまま枯れていくだけ。この庭園にある薔薇を始めとする花々は、すべてセシリアを喜ばせるために存在するものだった。彼女に愛されず、立ち枯れてゆく小さな薔薇はディルナスそのもののようだ。
『案ずる、お前の心はいつか母に届くだろう』
 いたわるような優しい声に、ディルナスはほんの少しだけ笑った。
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
 この声は他の誰にも聞こえない。ディルナスの心に直接語りかけてくるのは、こことは異なる世界の主だった。
 いつからだろう。物心がついた頃には、彼は常にディルナスのそばにいたような気がする。父は腫れ物のように自分を扱い、母は自分の存在自体を認めてはくれなかった。押しつぶされそうな孤独に耐えてこれたもの、彼がいつもそばにいてくれたからだった。
 だから、彼が望むものを与えてやりたかった。だから彼の声に従う。彼がいなくなったら、ディルナスを待っているのは真の孤独だ。それだけはどうしても耐えられなかった。
「もう子供じゃないんだから母上が見てくれなくても大丈夫だ」
『……強がりを』
 からかうように彼は言う。
「ひどいな」
 確かに彼の言うとおりかもしれないとディルナスは思う。セシリアに笑いかけて欲しくて、抱きしめて欲しくて、ちゃんとその青い瞳に自分の姿を映して欲しくて懸命に求め続けてきた幼い頃と、一体何が変わったというのだろう。
---母上、ちゃんと僕を見てよ…!
 何度その言葉を口にしてきただろう。けれどセシリアの視線はどこを見ることもなく、ただ宙を彷徨うだけだった。だから初めてセシリアが微笑みかけてくれた時、どんなに嬉しかったことか。たとえそれがディルナス自身にではなく、ジェラルド陛下の若き日の姿の幻にだとしても。
「…それに、僕には君がいる。だから平気だよ」
 ディルナスは自嘲気味な笑みを浮かべると、手にした薔薇を地面に放り投げる。その上に作業用の長靴を履いた足を乗せ、何度も何度も、靴の底で踏みにじった。踏みにじられた薔薇は見る影もなく、薄く小さな花は土の一部となっていた。
「耳口、目鼻」
 ディルナスが呟いたと同時に、音もなく、姿もなく、気配だけが目の前に降り立った。ディルナスは下僕が現れたのを肌で感じると低く囁いた。
「ガルオンを見張っていて欲しい。それから娘の方もね、まあ…手足がいるから大丈夫だとは思うけど」
 考えるように俯くと、潰し損ねた薔薇が一輪、視界に入った。潰そうと足を上げかけたが、気まぐれにその薔薇を拾い上げる。茎を指に挟んでくるりと回すと、ふわりと甘い匂いがした。
「……ねえ、ガルオンの娘ならこの花を気に入ってくれると思う?」
 すると彼は少し考え込むように押し黙っていたが、やがて重々しく言った。
『駒に余計な感情を抱くのは感心できない』
 もっともな答えだ。ゲームを動かす駒に何か期待を抱いている自分自身が愚かしく思えた。
「わかっているよ……忘れて」
 ディルナスは苦笑すると、乳白色の薔薇を胸のポケットにそっと差し込んだ。

       *      *      *      *      *          

 どこをどう歩いていたのか。ガルオンは憶えていなかった。
 ただ、何故娘を…ティーナに目を付けたのか? 
 考えられる理由はいくつもあった。ガルオンが自分を裏切らぬようディルナスが釘を刺したというのだろうか。
(クリフ・アーヴェレ)
 彼を庇い立てしたからか。果たしてそれが本当の理由かわからない。ただ、今考えられる理由はそれしか思い浮かばなかった。ティーナ自身に何か原因があるとは考えにくい。
(だが、ロータスにはラズウェルトさまがおられる)
 通常ならば皇太子殿下に係わるわけもないが、ロータスでは一生徒として過ごしているときく。ならば、ティーナとラズウェルトが親しくなる機会も十分にある。その時、何かがあった可能性も考えられる。
(まさか……)
 魔族がティーナに色濃く受け継がれた祖先の血に気づいていたとしたら……!
 ガルオンは回廊にたどり着くと、手近にある石柱を拳で叩くと、力なくもたれ掛かる。
(せめてラズウェルト殿下に王宮へ戻っていただければ)
 一刻も早くラズウェルトが王位を継承することを望むものは多い。国王自身、それを願いつつも強行できないでいる。人の親としてガルオンにも国王の心情は理解はできた。
 だが、人の親である前に、国王はセレスト・セレスティアン王国の親でもある。
「どうしてお立場を理解してくださらない…!」
 セレスト・セレスティアン王国が東大陸きっての歴史と反映を誇る大国だとしても、国の礎となる王を失っては安定を欠く。安定を失った国はどんな大国であろうと、様々な脅威にさらせれることとなるだろう。王位継承を争う内乱、他国からの侵入。そうなれば魔族の思うがままだ。
 せめてそうなる前に正統な王位継承者が王位を引き継ぐ必要があった。しかし、今のガルオンにはそれしか忠告できない。それ以上の手助けはディルナスを裏切る行為となる。そうすれば家族の…ティーナの命がどうなるかわからない。
「……なんてことだ!」
 苛立ちと焦りがガルオンを支配する。どこにぶつけていいかわからない思いを、石柱に思い切り拳をぶつけた。
「きゃっ……」
 その時、背後から少女の小さな悲鳴があがった。はっと我に返り振り替えると、そこには茶器の乗ったトレイを手にした侍女が怯えた目で立ち尽くしていた。
「あのっ、申し訳ございません!」
 ガルオンと目が合った途端、少女は顔を真っ赤にして謝罪の言葉を述べる。
 確か少女はセシリア専属の侍女。名は忘れたが最近ファルナトゥに上がったばかりだったはずだ。
「いや…こちらこそ驚かせて済まなかった。君は、確か……」
「はい、ルシアと申します。セシリア様のお世話をさせて頂いております」
 頬を上気させた少女は勢い良く言うと、そのままぺこりと頭を下げた。
「ルシア、お願いがあるのだが…」
「はい! 何でしょうか? お茶の支度なら今すぐに……」
「伝令の用意をと侍女頭に伝えて欲しい。早急に頼む」
 ガルオンの要求に、ルシアは戸惑いの表情を浮かべる。
「え。あの、お茶は…?」
「茶は後でいい」
 強い口調にルシアは驚いたように身を堅くする。
「え、は、はい!」
 ルシアはくるりと踵を返しもと来た方向へ戻ろうとしたが、「あ」と小さく声を上げて立ち止まり、ためらいながらも振り返った。
「あの、伝令とは…どちらへ……?」
 おどおどとしたルシアの様子に、ガルオンは自分が相当苛立っているのだと気がついた。ひと息呼吸をして気持ちを落ち着けると、できるだけ穏やかに言った。
「ロータスへだ。詳細は私が伝えに行く」
「は、はい!」
 ルシアは重たいトレイを持ったまま、できる限り足早に回廊を歩き出した。回廊の向こうへルシアが小さくなるのを見守りながら、ガルオンは重たい息をついた。
 奥床しく心優しい青年の心に、どうして魔族が棲み着いてしまったのか。漠然とではあるが、なぜ彼がディルナスを選んだのかが理解できた。
 彼は生まれた時から孤独だった。そして澄み渡った清水のようにその心は純粋だった。
 何色にも染まっていないディルナスの心は、自分を必要としてくれる存在を求めていたに違いない。魔族から世界を守るために犠牲となった彼を選ぶのは必然のように思われた。
 正当な王族の血を受け継ぐ彼は、百年以上昔なら確実に王位継承者となっていただろう。かつて王族は近親婚を繰り返し続けていた。より純粋な血筋を引くものが王位を継承する慣わしとなっていた。
 だが時代は変わった。現代の倫理観ではディルナスの存在は赦されない行いの証とされている。たとえ国を、いや世界を守るためという大義名分があったとしても、ディルナスの存在は認められない。下手をすれば内乱の火種ともなりうるディルナスの処遇について、当時どれだけ頭を悩ませたことか。
 結局、ファルナトゥという辺境の領主であるデヴォンシャー公の元へ当時皇女だったセシリアを嫁がせ、ディルナスは養子として迎え入れることで丸く治めたつもりであった。
 だが、それが最善の判断だったのか。ガルオンにはそうは思えなかった。魔族からの侵略を防ぐため、本来王族が持つ魔力を高めようと実の兄妹でありながら、兄であるジェラルド国王陛下と契りを交わしたセシリア皇女は正気を失ってしまった。それ故にこの世に生を受けたディルナスを媒体に、魔族は着実に侵略の手を伸ばしている。
「……ティーナ」
 今度はその魔の手が、我が娘をも利用しようと言うのか。
「不甲斐ない父親を赦しておくれ…」
 ティーナをファルナトゥに呼んでどうするつもりなのか、魔族の真意は掴めない。ただガルオンにできることは、我が娘に宿る可能性を信じ、無事を祈ることだけだった。

       *      *      *      *      *          

「ティーナ、さっきから呼び出しの放送がされてるわよ。至急学長室に来るようにって」
ティーナに声を掛けたのは、クラスメイトのオルガだった。
「学長室?」
 帰り支度をしていたティーナは驚いて手を止める。
(学長室に…何だろう?)
 ふと頭に浮かんだのは反省室での出来事だった。一昨日、操られていたとはいえ反省室に忍び込み、皇太子であるラズリの命を奪おうとしたのだ。ティーナが学長室に呼び出された理由など、他に思いつかない。
(もしかして、ディーン先生? やっぱり、空を飛んで反省室から抜け出した時、見られていたんだ……)
「ティーナ、どうしたの? 顔色が真っ青よ」
「え、え……そうかな?」
 心配そうに覗き込むオルガに笑って誤魔化すものの気が気ではなかった。
 もし学長先生に追求されたとして、一体どう説明したらいいのだろう。ラズリなら上手く切り抜けるのだろうが、ティーナはそんな要領の良さは持ち合わせていなかった。
 ラズリとアガシの謹慎も今日で三日目。夕食の時間までには解放されるだろうが、それまでにはあと数時間もある。ラズリにこの事態をどう乗り越えたらいいのか相談する時間などなさそうだ。
(どうしよう…どうしよう……)
 ぐるぐると考えていると、オルガはティーナの肩に手を置くと言った。
「ねえ具合悪いんじゃない。まだ病みあがり何でしょうティーナ。保健室に行ってミランダ先生に診てもらった方がいいじゃない?」
 ミランダ先生。その単語を耳にした途端、ティーナは弾かれたように立ち上がった。
「学長室だったよね、早く行かなくちゃ!」
 挫いた足はまだ痛むが我慢できないほどではない。鞄に教科書やノートを無造作に詰め込んだ。
「教えてくれてありがとう。じゃあ、また夕食の時間にね」
 鞄を両手に抱えると、まだ少しびっこを引きながら教室を逃げ出した。
 保健室にはもう二度と行くまいとティーナは心に誓っていた。ラズリを殺そうと自分を利用したミランダが赦せなかった。だけどそれ以上に、易々とミランダに利用された自分の方がもっと赦せない。
 ちゃんとアガシの忠告を聞いていれば、あんな事態にはならなかったのに。
 ミランダに潜む危険に彼は気がついていたのだ。アガシの忠告を信用していなかったわけではない。けれど、心のどこかで「まさか、そんなはずはない」と思っていた節はなかろうか。
「…………あ」
 学長室のある本館へ向かう渡り廊下の途中で、ティーナはあることに気づいて立ち止まる。
(ラズリがセレスト・セレスティアン王国の王位継承者だから命を狙っているとしたら、ミランダ先生はラズリの正体を知っているっているの…よね?)
 もし、ミランダのようにラズリの正体を知っている人が他にもいたら? ラズリの命を狙うのがミランダだけじゃなかったとしたら?
(このまま学長室に行ってもいいのかな…)
 学長を始めとする、他の教師たちの中に、ミランダと目的を同じとする輩がいないとは考えられない。
 ティーナの胸に、新たな不安が湧き上がる。
 また利用されたらどうしよう----またラズリを危ない目に遭わせてしまったら?
 途端にティーナの足は、すくんで動けなくなる。
(怖い……)
 思わず胸元の守り石を握り締める。けれど守り石はひんやりと冷たく、反省室から抜け出した時のようにティーナに力を貸してはくれなかった。そのまま力が抜けて座り込んでしまいそうになるところを、突然差し伸べられた大きな手がティーナを支える。
「おっと、大丈夫?」
 聞き覚えのある低く穏やかな声とほのかなコーヒーの匂い。
「…ディーン先生」
 ティーナの腕を掴んでくれたのは、魔法薬学の教師であるディーン・ジローラモだった。
 ディーンの柔らかい茶色の瞳を見た途端、じんわりと鼻の奥が熱くなる。だが泣いてばかりもいられない。今にも涙がこぼれそうになるのを堪えると、ティーナは鼻をすんと啜った。
「ありがとうございます」
「まだ怪我がちゃんと治っていないんだろう? 無理しちゃいけないよ」
 ディーンはティーナの頭をぽんぽんと叩くと、「ほら」と言ってティーナの前に背中を向けてしゃがみ込んだ。
「あの…先生?」
 戸惑っていると、ディーンはくるりと振り向いて、にっこりと笑う。
「ほら、おぶって行ってあげるよ。学長室へ行くんだろう? それともお姫様抱っこの方がいい?」
「い、いえっ! そういうわけでは…」
 冗談だとはわかっていても、つい顔を真っ赤にして慌てふためいてしまう。ティーナの動揺振りがおかしかったのか、ディーンは小刻みに背中を震わせていた。
「先生…からかわないでください」
「ごめんごめん」
 ティーナが頬を染めたまま困ったように訴えると、ディーンはからからと明るい笑い声を立てる。
(ディーン先生はどっちだろう)
 いつも気さくに接してくれるディーンを疑いたくなかった。できればミランダのことだって、何かの間違いであって欲しいと今でも思っている。
「……先生、あの」
 だけど、なんと聞いたらいいのだろう。次に紡ぐ言葉が見つからず、ティーナは唇を噛んだ。
「どうしたんだい? ほら、遠慮しなさんな」
「…………はい」
 ティーナは恐る恐るディーンの背中に近寄ると、肩にそっと手を添えた。
「ちゃんと捕まっててくれよ。せーの、よいこらしょっと」
 掛け声と共にディーンは立ち上がる。
「うわ」
 ティーナの視線がぐんと高くなる。ディーンの背中はその細身から想像するよりもずっと大きく、そして温かかった。幼い頃、父の背におぶってもらった時の、懐かしいような感覚が甦る。
 幸いこの渡り廊下はあまり人が通らないが、時折すれ違う生徒が興味深げにティーナを見上げていく。ディーンの親切は本当にありがたいが、反面恥ずかしくてたまらなかった。ティーナは顔を伏せると、カレンやセレに会わないことを祈り続ける。
「ティーナ」
「はい、なんでしょうか?」
 ディーンの背中から響く声は柔らかい。
「困ったことがあったら、何でも先生に話してご覧。少しは君の役に立てるかもしれないよ」
 一瞬、どきりとする。どういう意味なのだろう。ディーンが意図するのは何か、ティーナにはわからない。
「………ありがとうございます。何かあったら、その時はお願いします」
 結局、用心深げに返事をする。
「その時、ね」
 ふっと寂しげなディーンの呟きが耳に届いた。何故だかわからないが申し訳ないような気持ちになる。ティーナから持ち出す話題もなく、珍しくディーンも無口だった。なんとなく気まずい時間が流れる。
「さあ、着いたよお姫様」
 気がつくとそこはもう学長室の前だった。ディーンの背中からそっと降りる。ティーナはぺこりとお辞儀をした。
「先生、ありがとうございました」
「どういたしまして」
 ディーンは笑顔で応えると、不安げに学長室の扉を見つめるティーナの目の前で、そのドアをノックした。
「ティーナ・アルトゥンを連れてまいりました」
「お入りなさい」
 アルトの落ち着いた女性の声がドアの向こうから聞こえた。ティーナの身体に緊張が走る。すると、ディーンの大きな手がティーナの背中を軽く促した。
「さあ、行こうか」
 ティーナは小さく頷くと、意を決したようにドアノブに手を掛けた。

 学長室に足を踏み入れた途端、むんと黴臭い匂いが鼻を突いた。
 この部屋はまるで別の空間が広がっているかのようだ。校舎の壁を全部ぶち抜いたとしてもこんな広さにはならないだろう。そこは本の巣窟だった。足の踏み場に困るほど山積みにされた本が散乱し、四方の壁はすべて本棚になっていた。革表紙の重たそうな本がぎっしりと隙間なく並び、どこまでも高い天井へと果てなく続いている。
 以前に学長室を訪れたことがあったが、その時よりもさらに本の数が増えているような気がする。
「やっと来たな」
 今にも崩れそうな本の山の向こうから、黒いワンピースを身にまとった細身の女性が姿を現した。黒い髪を無造作に結い上げ、銀縁の眼鏡の奥にある瞳は青みを帯びたエメラルドグリーン。
「ティーナ・アルトゥン。呼び出しがあったら三十分以内に来るように」
 冷ややかにそう言い放ったのは、レドナ・ウィノーラ学長。思わずティーナは背筋を伸ばす。
「は、はいっ! 申し訳ありません」
「いい返事だ」
 満足そうに、薄っすらと笑みを浮かべる。まだ三十にも満たないだろう女性が、このロータス魔法学校の学長だということは実はあまりよく知られていない。滅多に表に姿を現さない学長の代わりを彼女の秘書が務めている。だから秘書である初老の男性を学長だと思っている生徒も多い。下手をすると一度も彼女の顔を見ないまま卒業してしまう生徒もいるのではないだろうか。
 ティーナがレドナを知っているのは、実は彼女が父ガルオンの知り合いだからだ。このロータス魔法学校に入れたのも、その縁があったお陰だと言っても過言ではない。
 レドナはスカートの埃を軽く叩き落とすと、手近にある本の山の上に腰を下ろした。
「お父上から手紙が届いた。至急ファルナトゥに向かうようにと書かれてあった」
 唐突なレドナの言葉に、その意味を捉え損ねる。
「え? あの…」
 ティーナは目を瞬く。
 覚悟していたものとは、まったく違った用件だった。そして、ティーナが想像もしていないことだった。戸惑うティーナに、レドナはもう一度くり返す。
「デヴォンシャー夫人の話し相手になって欲しいと。次期ご当主殿たっての頼みだそうだ」
「…ディルナスさまから?」
 幼い頃、ファルナトゥの離宮へ上がる父にくっついて行ったことが何度かあった。だがディルナスと一度もちゃんと顔を合わせたことはなかった。ただ、遠くから見かけたディルナスは輝くような金の髪だけはよく憶えていた。
「あのう、ディルナスさまがどうしてあたしを?」
「それはわからない。ただ、至急ファルナトゥに向かうようにと、お父上の手紙には記されている。しかもお迎えの使者までもご丁寧に送ってくれたようだ。校門の外で待っているぞ」
 レドナは淡々と説明するが、その半分も頭に沁み込んでこない。
「そんな急に言われましても…どうしてですか?」
「知らん」
 あまりに簡潔な答えにティーナは押し黙る。
「取り敢えず伝えたぞ。あとはティーナ、お前が決めなさい。行くも行かぬもお前の自由だ。貴族の命令だか何だかしらんが、学生は学業が本分なのだからな。それを妨げようとする輩など、私は好かん」
 憮然とした表情でレドナは腕組みをする。
「でも…」
 ティーナ自身、今の状態で学校から離れたくない。この守り石を返された今、ラズリに危険が及ぶ可能性が大きい。とはいえ、この申し出を断っては、父ガルオンの顔に泥を塗ることになるのではないか?
 ティーナが返事に迷っていると、レドナがすっくと立ち上がった。
「ガルオンとて今が大事な時だとわかっているはずだ。案ずるなティーナ、私から使者に離宮へ戻るよう伝えておこう」
「いえ、あの…待って下さい!」
 今にも学長室から飛び出して行きそうなレドナを引き止めようと、ティーナは大きな声を上げる。
「あの……待って下さい。あたし…」
 どうしよう。一瞬迷うが、ティーナは意を決した。
「行きます。ファルナトゥへ。でもすぐに帰ってきます。何かお困りで人手が欲しいのかもしれませんし…あたしが役に立てるかなんてわかりませんけど。それにちゃんとお話しして、すぐに帰してもらいます。ディルナス様だって、きっとわかってもらえるんじゃないかと思うんです」
 半分はティーナの希望だった。だけどとてもお優しい方だと聞いている。だから大丈夫だと思いたかった。
 レドナとディーンは顔を見合わせる。
「わかった。一時間で用意ができるか?」
「…頑張ります」
 レドナの言葉にティーナは頷いた。一礼をして退散しようと背を向けると、背後からディーンが呼び止める。
「ティーナ」
「はい?」
 振り返ったティーナの元に近寄ると言った。
「君にこの胡桃をあげよう」
 そう言いながらディーンは小さな胡桃をティーナの手に握らせる。
「先生、あの…?」
「もし大変なことがあったら、これを割りなさい」
 ティーナは戸惑ったように手の中の胡桃と、ディーンの顔を代わる代わる見つめる。ディーンは神妙な顔で、人差し指で胡桃を指し示す。
「これはね、魔法の胡桃なんだ。君が困った時、きっと助けてくれるから……大切にするんだよ」
 一見何の変哲もない胡桃だが、よく見ると表面に薄っすらと古代文字が浮かび上がっている。ティーナはころりと手の上で転がしてみると、ゆっくりと握り締めた。ほんの少し温かい。
「ありがとうございます。あの、先生」
 ティーナは首から革紐に吊るした守り石を外すと、ディーンに差し出した。
「先生、お願いがあるんです。この石をラズリに渡して…返しておいてもらえますか?」
「これは……」
 ディーンは目を見張ると、ティーナと石を代わる代わる見つめる。
「これは君のじゃないの?」
 いいえ、とティーナは首を振る。
「いえ、これは…借りたんです。今日ラズリの謹慎も終わりますよね? あたしから返せそうにないから……お願いします」
「……わかった。確かにラズリに渡しておこう」
 ディーンは守り石を受け取ると、ティーナの頭をぽんぽんと叩いた。
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その続きが知りたいのよ…!
 ――と、思わず読後第一声で叫び、すぐに「あー…自分が続きを書くんだっけね;」と思いなおした執筆者片割れ・やまのですこんばんは(前置き長すぎ;)

 いさなさん、数々の大イベントをこなしつつ担当分執筆オツカレさまでした~!
 いやーん、何それ何なの急展開~vv
 いさなさんから「ティーナ出奔!?」とうかがった時、まさかこんな思惑があるとは思いませんでしたよ~♪
 んもぉ、ディルナスさまのい・け・ず(爆)
 ガルオンさまのいたぶりかたが(笑)板についていましたな~。
 『目』をつけられていた、というのはクリフさんに魔法で何か盗聴器(この場合は盗撮か;)でも仕掛けられていたのでしょうかvv
 やるなあ、クリフさん~!
 そして学長先生!
 とっても姉御肌の粋な先生でよござんす!
 ディーン先生におぶられて入室というのも、とってもかわいかったなあvv
 ミランダ先生の名前が出たとたんに慌てるティーナがかわいかったッス。
 そして魔法の胡桃? うわあ、なんかとってもかわいいマジック・アイテムですね~。
 中から何が飛び出してくるのでしょうか♪
 今度設定聞かせてくださいね~。
 
 …ああ、やっぱりリレー小説は楽しいなあ!
 自分設定だとある一定のパターンで最後まであらすじができてしまうので、あとは書くだけ; という書記マシーンに徹するにすぎないのですが(だからいつも途中で飽きてしまう(^^ゞ←をい;)物語のキャッチボールをしていると、相手からどんな球が投げられるか予想もつかないので、飛んでくる方向によって大急ぎで走っていって、球の下でグラブを構えないと捕球し損ねちゃいますもんね~vv
 そんなわけで「どうするのオレ…!」とライフカードの切り方を迷いながら悩みながらの自分執筆担当週がはじまります♪
 
 さあて、いさなさんに思い切り振りかぶって球を投げますよ~!(笑)
→でもまだ何にも考えてない(ダメぢゃん!)
やまのたかね 2006/12/03(Sun)00:29:22 編集
デザインもクリスマス仕様ですね♪
クリスマス風のデザインと一新しましたね~♪
そして、さっそくご感想ありがとうございます。

「ティーナ出奔」はこんな形になってしまいました(^^;)
学園ものとはいえども、お国の大事に巻き込まれるなら、舞台が動いてもいいかなあと、そしてディルナス兄を書いてみたかったのです。
今回だしたマジックアイテムは某少女漫画にあったネタを使わせていただいたものです。
使用法はとってもシンプルです。それについては、後ほどメールでお伝えしますね。


いさな 2006/12/03(Sun)21:22:58 編集
Advent Seasonですからね♪
 クリスマス仕様お気に召していただけて感謝♪
 もうちょっと大人っぽいもの(ゴシックなデザイン)にしようかなあ…と思いつつも、先月までがダーク調でしたので、やっぱりイベント月間らしく、にぎやかで楽しいテンプレがいいなあと思い、いかにもクリスマスー仕様とあいなりました。

 いさなさんの書くディル兄を存分に堪能させていただいた回でもありましたね♪
 温和でおだやかな口調の中にも異を唱えさせようとしない、生まれながらにして上に立つ者としての威厳を感じさせる、絶対君主的存在感にあふれていましたvv
 なんかもぉ、ゾクゾクするほどカッコよかったです!
 
 クルミの中に何かが…というと、私はグリム童話の「千枚皮
というお話を思い出しておりました♪
 お姫様がクルミの中に入れていたドレスを取り出して(お日様のようなもの、お月様のようなもの、お星さまのようなものと三枚作らせていた; さらに自分は千匹の獣の皮を少しずつはいで作った被り物を着ているのですね=ここにタイトル由来が。)、お城のダンスパーティに行く、という下りがあるのですよvv

 設定メールとっても楽しみにしております~vv
やまのたかね 2006/12/03(Sun)22:40:53 編集
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